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漢文として楽しむ論語 子張第十九 2/3

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11(482) 子夏曰大コ不踰閑…

子夏曰( し かの いわく)大コ( たい とく ) (ざれば)(こえ )(おりを)小コ(しょう とくは ) 出入(しゅつ にゅうすとも ) (かなり)也、

【書き下し】子夏の曰く、大徳閑を踰えざれば、小徳は出入すとも可なり、

【訳】子夏が言った。最も根本的で最重要なことが道を外れていなければ、小さなことは多少道を逸脱していも目を瞑る。

【解説】大徳小徳は、云わば大法小法、大節小節といったこと。

12(483) 子游曰子夏之門人小子…

子游曰( し ゆうの いわく)子夏( し  かの )門人( もん じん ) 小子(しょう し )(あたっては)洒掃( さい そう ) 應對( おう たい ) 進退( しん たいに)則可(すなわち かなり)矣、抑末(そもそも すなえり)也、(もとづくることは )(これを ) 則無(すなわち なし )如之何( いかんかせん )

【書き下し】子游の曰く、子夏の門人小子、當洒掃應對進退に当たっては、則ち可なり、抑そも末なり、之を本づくることは則ち無し、如何かせん、

【訳】子游が言った。子夏の弟子の若者たちは、掃除と立ち居振る舞いはできている。しかしそもそもが、こういったことは枝葉末節であって、根本については何もわかっていない。どうしたものか。

【解説】子游は孔子の弟子、姓は言、名は偃、子游は字。洒は水をかけてきれいにすること、掃はほうきではくこと、洒掃で掃除をすること。応は人から呼ばれたときに答える声、対は人の質問に答える言葉、進はすすむ、退はしりぞくで、応対進退は立ち居振る舞いの形を云う。

子夏(しか)(きいて)(これを) (いわく)(ああ ) 言游( げん ゆう ) (あやまてり)矣、君子( くん しの )(みち )(いずれをか ) (さきとして ) (つたえ)焉、(いずれをか ) (のちとして ) (うまん)焉、(たとう)諸艸木( これ そう もくに)(まちまちにして ) 以別(もって わかてり)矣、

【書き下し】子夏、之を聞いて曰く、ああ言游、過てり、君子の道、孰れをか先として伝え、孰をか後として倦まん、諸れ艸木に譬う区まちにして以って別てり、

【訳】子夏がこれを聞いて言った。ああ、言游(=子游)は勘違いしている。君子の道は何を先に伝え、何を後回しにするか、それは例えば草木がそれぞれの種類によって育て方に区別があるのと同じだ。

【解説】その人の習熟度を考えず、一律に高遠なことを教えれば、人によってはその理を曲げたりこじつけたりと、デタラメなことをやってしまう。

君子( くん しの )(みち )(いずくんぞ ) (べけん)(しいる)也、( あり)(はじめ) ( ある)(おわり) (ものは)其唯( それ ただ ) 聖人( せい じんか)乎、

【書き下し】君子の道、焉んぞ誣いる可けん、始め有り卒り有る者は、其れ惟だ聖人か、

【訳】君子の道は、そういうことをさせない。始めとする末もあり、終わりとする本もあり、始終本末を兼ね備えて理解できるのは聖人しかいない。したがって弟子の若者には、そこまでのことは望まず、まずは枝葉末節からなのだ。

【解説】誣いるは、こじつける、事実を曲げる、つくりごとを言う、といった意。

13(484) 子夏曰仕而優則學…

子夏曰( し かの いわく)(つかえて)(ゆたかなるときは ) 則學(すなわち まなぶ)(まなびて)(ゆたかなるときは ) 則仕(すなわち つかう)

【書き下し】子夏の曰く、仕えて優かなるときは則ち学ぶ、学びて優かなるときは則ち仕う、

【訳】子夏が言った。仕官して職務を怠りなく行い、なお余力があれば学問をする、学問をして余力があれば仕官する。

【解説】優は余力があること。

14(485) 子游曰喪致乎哀而止

子游曰( し ゆうの いわく)(もは ) (きわめて)(かなしみを)(やむ )

【書き下し】子游の曰く、喪は哀しみを致めて止む、

【訳】子游が言った。喪は哀しみを極めることが大事で、儀礼的なことで大袈裟に飾る必要はない。

【解説】思うにこの頃は、儀礼的なことばかりに捉われ、哀惜の念が薄い葬儀が横行していたのかもしれない。

15(486) 子游曰吾友張也…

子游曰( し ゆうの いわく)吾友( わが とも ) (ちょう)也、(なす )(がたきことを)(よくし)也、(しかれども)(いまだ/ず) (じんなら)

【書き下し】子游の曰く、吾が友、張、能くし難きことを為す、然れども未だ仁ならず、

【訳】子游が言った。わが友の子張は、普通の人がなかなかできないことでも難なく行う。しかしそれは心からの行為ではなく、自分を立派に見せようとしているだけなので、未だ仁とは言えない。

【解説】仁は心の徳にして愛の理である。

16(487) 曾子曰堂堂乎張也…

曾子曰( そう しの いわく)堂堂( どう どうたり)(ちょう)也、(がたし)與並(ともに ならんで) ( なし)1ノ(じんを)矣、

【書き下し】曽子の曰く、堂々たり張、与に並んで仁を為し難し、

【訳】曽子が言った。子張は堂々としている。しかし共に相たすけて仁をすることは難しい。

【解説】曽子は孔子の弟子、姓は曽、名は参、字は子輿。子張は外見こそ君子らしく堂々としているが、心は自ら昂ぶり内に足りないところがあるのを惜しんで、こう述べたのだ。

17(488) 曾子曰吾聞諸夫子…

曾子曰( そう しの いわく)(われ ) (きけり)(これ ) 夫子( ふう しに )(ひと ) (いまだ/ず)( あら )(みずから ) 致者(きわむる もの )也、(かならず)(おやの) (もか )乎、

【書き下し】曽子の曰く、吾れ諸れ夫子に聞けり、人、未だ自ら致むる者有らず、必ず親の喪か、

【訳】曽子が言った。私は先生から次のことを聞いた。人は平生の事においては、自らの意志で何かを極めることはまずないが、せめて親の死のときくらいは全力で哀しみを極めたいものだ。

【解説】自致とは、人から強要されるのではなく、自らの意志で何かを極めること。

18(489) 曾子曰吾聞諸夫子孟莊子之孝也…

曾子曰( そう しの いわく)(われ ) (きけり)(これ ) 夫子( ふう しに )孟莊子( もう そう しが )(こう )也、其他( その たは ) (べし )(よくす)(その ) (ざることは) (あらため)(ちちの)(しんと)(とを )(ちちの)(まつりごと)(これ ) (がたし)(よくし)也、

【書き下し】曽子の曰く、吾れ諸れ夫子に聞けり、孟荘子が孝、其の他は能くす可し、其の父の臣と、父の政とを改めざることは、是れ能くし難し、

【訳】曽子が言った。私は先生から次のことを聞いた。孟荘子の孝行は、他のことなら真似できても、父の死後に臣と政を改めなかったことは、なかなか真似できるものではない。

【解説】孟荘子は魯大夫孟孫氏、名は速、荘は諡。父が卒っして荘子が家を継ぐとき、そのまま父の臣を用い、父の政事を守った。もちろん父は賢徳があり、その臣と政事は、悪しきことがなかった。荘子は年若くして家を継ぎ、しかも孝を以って称せられるほどの才徳があった。才ある者の多くは、家を継ぐと旧臣を替えて旧業を改めるものだったのだが、荘子は父のためによく其の志を継ぎ、臣も政事も改めなかったのだ。よって孔子はこのことを挙げ、なかなか真似のできないことだと述べたのだ。

19(490) 孟氏使陽膚爲士師…

孟氏( もう し ) 使(しむ )陽膚( よう ふをして ) (たら )士師(しし)(とう )曾子( そう しに )曾子曰( そう しの いわく)(かみ ) (うしなって)其道( その みちを)(たみ ) (さんずること ) (ひさし)矣、(もし ) (えば )其情( その まことを)(すなわち) 哀矜而( あい きょうして  )(なかれ)(よろこぶこと)

【書き下し】孟氏、陽膚をして士師たら使む、曽子に問う、曽子の曰く、上、其の道を失って、民、散ずること久し、如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿れ、

【訳】孟氏が曽子の弟子の陽膚を刑官に任用したので、陽膚がその職をおさめる道を曽子に質問した。曽子が言った。今の時代は権力の側が道を失い、民を理不尽に使うことが多く、また平素から民に道義を教えることもないので、人情事義は背き離れて互いに相寄り頼むところがなく、もう何年も民の心は散りぢりになっている。もし、民が犯した罪悪のありのままの真実を得たときは、哀れみを以って接することだ。民散すること久しきによって、その罪を犯したのはやむを得なかったか、其の義を知らずに陥ったのだから、哀れみを加えてその咎を行うべきだ。罪悪の真実を得たことを手柄だと喜んではいけない。

【解説】孟氏は孟孫氏のこと。陽膚は曽子の弟子、士師は訴えを聞き刑を用いる官。

20(491) 子貢曰紂之不善…

子貢曰( し こうの いわく)(ちゅうが)不善( ふ ぜん )()(ごときの)(かくの)(はなはだしきにはあら)是以(ここを もって) 君子( くん しは ) (にくむ)(おることを)下流( か りゅうに)天下( てん かの )(あく ) 皆歸( みな きす )焉、

【書き下し】子貢の曰く、紂が不善、是の如きの甚だしきにはあらじ、是を以って君子は下流に居ることを悪む、天下の悪皆帰す、

【訳】子貢が言った。殷の紂王の悪行は、実はそれほど酷くはなかったのだ。しかしすべての悪行は紂王から出たのだとされている。川の下流には上流からいろいろなものが流れて来ることに例えれば、上流からいろいろな悪が流れ集まったのが下流であって、だから君子は下流に居ることをにくむのだ。下流に居れば、上流から流れ着いた悪まで自分の仕業だというこにされ、ついには天下の悪はすべて自分の仕業だともされてしまうのだ。

【解説】下流に居るだけでやってもいない悪を背負わされてしまうこともあるから、一度でもその身をそういった不善の地に置いてはいけない、という戒めである。

21(492) 子貢曰君子之過也…

子貢曰( し こうの いわく)君子( くん しの )(あやまちは)也、(ごとし)日月( ひ づきの )(しょくの)焉、過也(あやまつときは ) 人皆( ひと みな) ()(これを)更也(あらたむるときに ) 人皆( ひと みな ) (あおぐ)(これを)

【書き下し】子貢の曰く、君子の過ちは、日月の食の如し、過つときは人皆之を見、更むるときに人皆之を仰ぐ、

【訳】子貢が言った。君子の過ちは日蝕や月食のようなものだ。君子は過ちを隠さないので、過つときはみんながそれを見ているし、その過ちを改める様子は尊敬の念を以って仰ぎ見られる。

【解説】日蝕や月食を日月の過ちと例え、誰もが日月が欠けるのや元に戻るのを見ていることを、君子が過ちを隠さないことに擬えたのだ。過ちは誰にでもあること。しかし多くの場合、自分のためにその過ちを隠そうとする。過ちを隠さずに見せるのは、その心に私情がない証。更は再び新しくなるということ。

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最終更新日:令和02年10月21日 学易有丘会
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