学易有丘会トップページ九星による吉方凶方カンタン便利!自分でできる無料易占いなるほど!易学入門究極の易経解説漢文として楽しむ論語古事記と易学〜発見!想像を絶する真実の古代日本聖書は易学〜聖書の作者は古代中国の易学者だった!ブログ〜折に触れ、あれこれ書いてます。コアランの音楽演奏動画など

漢文として楽しむ論語 季氏第十六 4/4

トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十

前のページ・季氏第十六3/4

季氏第十六 1/4 2/4 3/4 4/4

12(432) 齊景公有馬千駟…

齊景公(せいの けい こう ) ( あり)馬千駟( うま せん し )(しするの)()(たみ ) (なし )コ而稱(とくとして しょうすること)伯夷( はく い ) 叔齊(しゅく せい )(がす )首陽( しゅ ようの)(もとに)(たみ ) (いたるまで)(いまに)(しょうす)(これを)

【書き下し】齊の景公、馬千駟有り、死するの日、民徳として称すること無し、伯夷叔齊、首陽の下に餓す、民今に到るまで之を称す、

【訳】齊の景公は四千頭の馬を所有するほどの富があった。しかし景公が死ぬとき、人々はそんな富があるのに、徳として称することがなかった。昔、伯夷と叔齊の兄弟は武王を諌めて後、首陽山に隠れて、ついに餓死したが、人々は数百年後の今に到るまで、之を称して止むことがなかった。

【解説】朱子は、この文の初めに孔子曰の字があったのではないかと云っている。駟は馬車一台を曳く馬が四頭として一単位としたもの、したがって千駟は馬四千頭のこと。古は富を馬の数で称した。首陽は山の名。

(まことに) ()(もってせ) (とめるを)亦祇( また まさに ) (もってす)異、(ことなるを  ) 其斯(それ これを)(いうか)與、

【書き下し】誠に富めるを以ってせず、また祇に異なるを以ってす、其れ斯れを謂うか、

【訳】詩経に「誠に人の死後に称されるのはその富ではなく、その人と異なる立派なところがあることによる」とある。この言葉は、景公と伯夷叔齊兄弟の違いを示しているかのようだ。

【解説】誠不以富、亦祇以異は顔淵第十二10に出て来る詩経の一節。本来はここにあったのではないかとする説があるので、それに従ってここに入れた。

13(433) 陳亢問於伯魚…

陳亢( ちん こう ) (といて)伯魚( はく ぎょに)(いわく)子亦( しも また ) (ありや)異聞( い ぶん )乎、對曰(こたえて いわく)(いまだし)也、

【書き下し】陳亢、伯魚に問いて曰く、子も亦、異聞有りや、対えて曰く、未だし、

【訳】陳亢が伯魚に質問して言った。あなたは何か特別なことを教わりましたか。答えて言った。いや、まだ、そんなことはないです。しかしこんなことがありました。

【解説】陳亢は孔子の弟子、姓は陳、名は亢、字は子禽。伯魚は孔子の長男、名は鯉、伯魚は字、五十歳で孔子より先に死んだ。通常、未(いまだ)は副詞で、未だ〇〇しない、といったふうに読むが、「未」一字だけで出てきた場合は、まだその時期ではない、といった意の形容詞として、いまだし、と読む。

嘗獨立(かつて ひとり たてり)鯉趨( り わしって)(すぐ )(にわを)(いわく)(まなびたりや )(しを )乎、對曰(こたえて いわく)(いまだし)也、(ざれば)(まなば)(しを )(なけん )以言(もって ものいうこと)鯉退( り しりぞいて)(まなぶ)( しを)

【書き下し】嘗て独り立てり、趨って庭を過ぐ、曰く、詩を学びたりや、対えて曰く、未だし、詩を学ばざれば以って言うこと無けん、鯉、退いて詩を学ぶ、

【訳】あるとき、孔子がひとり堂上に立っていると、鯉がその前の庭を走って過ぎた。そのとき、父(孔子)が言いました。詩経を学んだのか。答えて言いました。まだです。まだ詩経を学んでないのなら何も理解できないだろうから、何も言うことは無い。鯉は退いて早速詩経を学んだ。

【解説】詩経は道を勉強するのに相応しい周の時代のいろいろな詩を集めたもの。孔子が編纂した。なお、曰、学詩乎、は孔子が言った言葉だから「の玉わく」と読みたくもなるが、鯉にとっては自分の父の言葉なのだから、鯉の立場で、特段の敬意は込めずに「いわく」と訓む。

他日又( た じつ また ) 獨立(ひとり たつ )鯉趨( り わしって)(すぐ )(にわを)(いわく)(まなびたりや )(れいを)乎、對曰(こたえて いわく)(いまだし)也、(ざれば)(まなば)(れいを)(なけん )以立(もって たつこと)鯉退( り しりぞいて)(まなぶ)(れいを)(きけり)斯二者( この ふたつの ものを)

【書き下し】他日また独り立つ、鯉、趨って庭を過ぐ、曰く、礼を学びたりや、対えて曰く、礼を学ばざれば以って立つこと無けん、鯉、退いて礼を学ぶ、斯の二つの者を聞けり、

【訳】また別の日、孔子は独り立っていた。鯉はその前の庭を走って過ぎ、孔子が言いました。礼を学んだのか。答えて言いました。まだです。まだ礼を学んでないのなら人と適切に応対できないから人の前に立つこともできないものだ。鯉は退いて早速礼を学んだ。聞いたのはこの二つのことだけです。

【解説】礼を学ぶとは、何をするべきか、何をしないほうがよいのか、なぜそうなのかを知ること。

陳亢( ちん こう ) 退(しりぞいて)喜曰(よろこんで いわく)(といて )(ひとつを ) (えたり )(みっつを)(きき )(しを ) (きき )(れいを)(また ) (きけり)君子( くん しの )(とおざかることを)其子( その こに )也、

【書き下し】陳亢、退いて喜んで曰く、一つを問いて三つを得たり、詩を聞き礼を聞き、また君子の其の子に遠ざかることを聞けり、

【訳】陳亢は退き、喜んで言った。一つのことを質問して三つの答えを得た。詩を聞き、礼を聞き、また、君子は自分の子に特別なことをしないのだということを聞いた。

【解説】孔子はたまたまそういう場面があったから、そう言ったまでであって、自分の子だからと依怙贔屓したわけではない。

14(434) 邦君之妻…

邦君( ほう くんの)(つまは)(きみ ) (しょうして )(これを) ( いう)夫人( ふ じんと)夫人( ふ じん ) 自稱(みずから しょうして) ( いう)小童(しょう どうと)邦人( くに たみ ) (しょうして )(これを) ( いう)君夫人( くん ふ じんと)

【書き下し】邦君の妻、君、之を称して夫人と曰う、夫人、自らを称して小童と曰う、邦人之を称して君夫人と曰う、

【訳】国君の妻は、その国君が呼ぶときは夫人という。夫人が自ら呼ぶときは小童という。国内の臣民すなわち臣や民が呼ぶときは君夫人という。

【解説】邦君は国君、諸侯のこと。夫人は、夫は扶と通じてたすけるという意で、君を扶ける人という意。小童は子供のような無知だと謙遜しての言葉。君夫人は、我が君の夫人ということ。

(しょうして )(これ ) 異邦( い ほうに)( いう)寡小君( か しょう くんと)異邦人( い ほう じん ) (しょうして )(これを)(また ) ( いう)君夫人( くん ふ じんと)

【書き下し】異邦に称して、寡小君と曰う、異邦人之を称して、亦た君夫人と曰う、

【訳】他国の人に対しては寡小君という。他国の人が呼ぶときは、国内の人と同じく君夫人という。

【解説】寡小君はその国の人が他国の人に対して云う言葉。小君は夫人の通称で寡は謙詞、徳が少ないと謙遜してのこと。君も自ら謙遜して寡人と云うし、その国の人が他国の人に対しては寡君と云う。

前・季氏第十六3/4 TOP 次・陽貨第十七1/5

学易有丘会トップページ九星による吉方凶方カンタン便利!自分でできる無料易占いなるほど!易学入門究極の易経解説漢文として楽しむ論語古事記と易学〜発見!想像を絶する真実の古代日本聖書は易学〜聖書の作者は古代中国の易学者だった!ブログ〜折に触れ、あれこれ書いてます。コアランの音楽演奏動画など
最終更新日:令和02年10月21日 学易有丘会
Copyright Heisei12th〜Reiwa2nd(2660〜2680)
(C)2000〜2020 GakuEki-UQkai