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漢文として楽しむ論語 衞靈公第十五 1/4

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衞靈公第十五 1/4 2/4 3/4 4/4

衞靈公(えいれいこう)とはこの篇の題名で、冒頭の三文字を取って音読みにしたもの。論語二十篇の第十五篇である。

1(380) 衞靈公問陳於孔子…

衞靈公(えいの れい こう) ( とう)(じんを)孔子( こう しに )孔子( こう し ) 對曰(こたえて の玉わく)俎豆( そ とうの)(ことは)則嘗(すなわち かつて ) (きけり )(これを)矣、軍旅( ぐん りょの)(ことは)(いまだ/ず )之學(これを まなば)也、明日(あくる ひ ) 遂行(ついに さる )

【書き下し】衛の霊公、孔子に陳を問う、孔子対えて曰く、俎豆の事は、則ち嘗て之を聞けり、軍旅の事は、未だ之を学びず、明くる日遂に行る、

【訳】衛の霊公が孔子に戦争のときの陣地の構え方を質問した。孔子が答えて仰った。祭事の作法はかつて教わったが、軍事のことは未だ学んだことはないと言って、翌日には、遂に衛を去った。

【解説】陳は陣の古字。霊公は無道の君にして、戦争のことしか頭になかった。そこで孔子はこう答えて、即刻衛の国を去った。

(いまして )(ちんに ) (たえたり )(かて )從者病(じゅう しゃ やみて)(なし )能興(よく おきること)子路(しろ) 慍見(いかり まみえて ) (いわく)君子( くん しも ) (また ) (ありや )(きゅうすること)乎、子曰( しの の玉わく)君子( くん しも ) 固窮(まことに きゅうす)小人(しょう じん ) (きゅうすれば ) 則濫(すなわち あぶる)矣、

【書き下し】陳に在まして糧絶えたり、従者病みて能く興ること莫し、子路慍り見えて、曰く、君子も亦た窮すること有りや、子の曰く、君子も固に窮す、小人窮すれば則ち濫る、

【訳】孔子は衛を去ると陳の国に滞在したのだが、折しも呉が陳を攻めて国が乱れていたので、孔子たちも食糧が足りず、伴の弟子たちも飢えと疲れで起き上がることもできないほどだった。子路は、孔子に聖徳がありながら窮乏しているのに憤り、怒りを顔に出して言った。君子もまた困窮することがあるのですか。先生が仰った。君子も困窮することはあるが、だからと言って取り乱しはしない。小人は困窮すると、すぐに取り乱す。

【解説】日本には、「武士は食わねど高楊枝」という諺があるが、ここにあるように、君子は困窮しても取り乱さないということから、武士=君子だと考えて、そんなふうに言ったのだろう。

2(381) 子曰賜也…

子曰( しの の玉わく)()也、(なんじ ) (もって )(われを ) (するか )多學(おおく まなんで)(しるす )(これを ) (ものと)與、對曰(こたえて いわく)然非(しかり あらずや)與、子曰( しの の玉わく)(あらず)也、(われは ) 一以(   をもって ) (つらぬけり )(これを)

【書き下し】子の曰く、賜、汝予を以って多く学んで之を識す者と為るか、対えて曰く、然り非ずや、曰く、非ず、予は一を以って之を貫けり、

【訳】先生が仰った。賜=子貢よ、お前は私を多くのことを学んで覚えている者だと思っているのか。賜が答えて言った。もちろん、そうです。先生が仰った。違う。私は多くのことを学んではいるが、それらはすべてひとつの目的のためなのだ。

【解説】賜は子貢の名。女は汝と同じ意。孔子は道を目指すというひとつの目的のために、多くの物事を学んだに過ぎないのだ。そのことを忘れて枝葉末節の知識だけに捉われてはいけない、という戒めでもある。

3(382) 子曰由知コ者鮮矣

子曰( しの の玉わく)(ゆう )(しる )(とくを) (もの ) (すくなし)矣、

【書き下し】子の曰く、由、徳を知る者、鮮し、

【訳】先生が仰った。由=子路よ、本当に徳を知る者は少ない。

【解説】徳とは義理を心に得て我が物となっていること。いちいち考えず咄嗟に行動してもそれが義理に適っていること。子路は辛いと慍み言を口にすることがあるので、戒めたのだ。怨みや怒りを面に出すようでは、まだまだ徳があるとは言えない。

4(383) 子曰無爲而治者…

子曰( しの の玉わく)(なくして )(すること)(おさまる ) (ものは)(それ ) 舜也(しゅんなるか )與、夫何爲(それ なにをか するや)哉、(うやうやしくして ) (おのれを ) (ただしく ) 南面(なん めんする)(のみ )矣、

【書き下し】子の曰く、為ること無くして治まる者は、其れ舜なるか、其れ何をか為るや、己を恭しくして正しく南面する已、

【訳】先生が仰った。何も作為的なことをしないで世の中を平和に治めた者と云えば、舜だろう。彼がしたことと云えば、言行を恭しくして、正しく作法どおりに南面して政事を行ったことだけだ。

【解説】法律や命令ではなく、自分の普段の姿を見て臣下が感化され、天下は治まったのだ。このように権力者の様子に感化されるのは世の常。現代でもマスコミが伝える権力者の様子を人々は模倣する。テレビに登場する人物が礼を大切にしていれば、庶民も礼を大切にするが、平然と礼を否定する人たちがメディアを闊歩すれば、庶民もそれを模倣して礼を蔑ろにする。だからテレビやマスコミの影響力が云々されもするのだ。権力の側が平然と忖度する様子を見せつけられれば、庶民もそれぞれの生活の中で忖度しなければ暮らせない世の中になる。したがって権力の側が一番大切なのは、常日頃から公徳心を以って生活することなのだ。誰からも尊敬される公徳心を見せつけられれば、周囲の人から庶民までもが、それに順って私利私欲で争うことがなくなり、社会全体が平和に治まる。その手本が舜だった、ということである。

5(384) 子張問行…

子張( し ちょう ) (とう )(おこなわれんことを)子曰( しの の玉わく)言忠信(いうこと ちゅう しんあり)行篤敬(おこない とく けいならば)(いうとも )蠻貊( ばん はくの)(くにと)1 行矣(おこなわれん )(いうこと) ()忠信(ちゅう しんなら)(おこない ) (ざるは )篤敬(とく けいなら)(いうとも )州里(しゅう りと)1 行乎(おこなわれんや )哉、

【書き下し】子張、行われんことを問う、子の曰く、言うこと忠信あり、行い篤敬ならば、蠻貊の邦と雖も行われん、言うこと忠信ならず、行い篤敬ならざるは、州里と雖も行われんや、

【訳】子張が受け入れられる行いについて質問した。先生が仰った。言うことは常に心を尽くして嘘偽りなく真実に違わず、行いは常に篤く敬うことを心がけていれば、中国に限らず、例え南や北の未開人の地でも受け入れられる。しかし言うことがいい加減で信頼できず、行いが軽薄で適当ならば、地元の郷里でも受け入れられるわけがない。

【解説】忠は心を尽くして残さないこと。信は嘘偽りがなく真実に違わないこと。篤は重厚にして軽薄にならないこと。蠻は南の未開人地、貊は北の未開人の地。里は二十五家の狭い地域、州は二千五百家のそこそこ広い地域。

(たてるときは ) (すなわち) ()其參(その まじわるを)(まえに)也、(あるときは )輿(くるまに ) (すなわち ) (みる )其倚( その よるを)(くびきに)也、夫然(それ しかして ) 後行(のちに おこなわる)子張( し ちょう ) (しるす )諸紳(これを しんに)

【書き下し】立てるときは則ち其の前に参わるを見、輿に在るときは則ち其の衡に倚るを見る、夫れ然して後に行わる、子張諸を紳に書るす、

【訳】立っているときは忠信篤敬の四字を目の前に見ているかのようにして、車に乗っているときも、目の前の衡にこの四字が書かれた札があるかのように、常に忘れないようにすれば、受け入れられるのだ。子張は、この忠信篤敬の四字を常に見て忘れないようにと、紳に書き止めた。

【解説】衡は、車と馬を繋ぐ木のこと。紳とは大帯の前に垂れたところ。

6(385) 子曰直哉史魚…

子曰( しの の玉わく)直哉(なおいかな  ) 史魚( し ぎょ )(くにに ) (あるときは )(みち ) (ごとし)(やの )(くにに ) (なきときも )(みち ) (ごとし)(やの )

【書き下し】子の曰く、直いかな史魚、邦に道有るときは矢の如し、邦に道無きときも矢の如し、

【訳】先生が仰った。魯の大夫の史魚はとても真っ直ぐな人物だ。国に道が有ってよく治まっているときも矢のように真っ直ぐで、国に道が行われず乱れているときも矢のように真っ直ぐだ。

【解説】史魚は衛の大夫、名は鱒、魚は字、その性質は正直にして邪曲ないことを嘆美している。

君子哉( くん しなるかな ) 蘧伯玉( きょ はく ぎょ )(くにに ) (あるときは )(みち ) 則仕(すなわち つかえ)(くにに ) (なきときは )(みち ) (すなわち ) (べし )(おさめて)(かくしつ)1ノ(これを)

【書き下し】君子なるかな蘧伯玉、邦に道有るときは則ち仕え、邦に道無きときは則ち巻めて之を懐しつ可し、

【訳】同じく衛の大夫の蘧伯玉は君子だ。国に道が有ってよく治まっているときは仕え、国に道が行われず乱れているときはその能力を巻き物のように懐に隠し納めている。

【解説】蘧伯玉も衛の大夫、名は(えん)、伯玉は字。君子とは徳のすべてを備えている者を云い、直はその君子たる徳の一部に過ぎない。

7(386) 子曰可與言而不與之言…

子曰( しの の玉わく)(べくして )與言(ともに いう )、而(ざるは)()(これ ) (いわ )(うしなう )(ひとを)(ずして )(べから )與言(ともに いう )1ノ、而()(これ ) (いうは)(うしなう )(ことを)知者( ち しゃは) ()(うしなわ )(ひとを)(また ) ()(うしなわ )(ことを)

【書き下し】子の曰く、与に言う可くして、之と言わざるは、人を失う、与に言う可からずして、之と言うは、言を失う、知者は、人を失わず、亦た言を失わず、

【訳】先生が仰った。賢にして共に語るべき人と語らなければ、その人は自分を顧みなくなり、やがてはその人間関係を失ってしまう。不賢にして共に語ることのない人に語っても、その言は相手の身に入らず空しく廃れ、言うことを失ってしまう。知者は、よく人を見極め、語るべき人と語り、語るべきではない人とは語らないようにするので、人も言も失わない。

【解説】自分と相手の知的レベルが違えば話が通じない。話が通じる相手とは親しく話し合い、話が通じない相手とは何も話さないのが賢明というもの。

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最終更新日:令和02年09月07日 学易有丘会
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