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漢文として楽しむ論語 憲問第十四 5/5トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 39(371) 子曰賢者辟世…
○ 【書き下し】子の曰く、賢者は世を辟く、其の次は地を辟く、其の次は色を辟く、その次は言を辟く、 【訳】先生が仰った。賢者は天下が無道であれば世間と関わるのを避けて隠れ居る。その次は乱国を去って治国に行く。その次は、仕える君主の礼に対する態度がいい加減になったと見えたら辞して去る。その次は、仕える君主が身勝手に言いたいことを言うようになったら去る。 【解説】ここでは賢者の出処去就が、その立場によってさまざまに異なることを、順に述べる。世と地は地勢の広狭、色と言とは人事の浅深であって、徳の優劣ではない。 40(372) 子曰作者七人矣
○ 【書き下し】子の曰く、作つ者七人、 【訳】先生が仰った。位を捨てて立ち去った者は、今すでに七人に及ぶ。 【解説】道が行われなければ志の高い賢人は立ち去るものなのだと諭す。 41(373) 子路宿於石門…
○ 【書き下し】子路、石門に宿る、晨門の曰く、奚くよりす、子路の曰く、孔氏よりす、曰く、是れ其の不可を知りて之を為る者か、 【訳】子路が石門に一宿することになった。門番が言った。どこから来たのか。子路が言った。孔子の家からです。門番が言った。あの無理だとわかっていても、諦めることなくやっている人か。 【解説】石門は地名。子路が出かけたとき、その石門に一宿したときのこと。晨門は朝夕に門を開閉する番人。 42(374) 子擊磬於衞…
○ 【書き下し】子、磬を衛に撃つ、蕢を荷って孔氏の門を過ぐる者あり、曰く、心有るかな磬を撃つこと、心に沁みる磬を打つ音だ。 【訳】先生が衛に滞在していたあるとき、磬を打った。そのとき、もっこを担いで孔子の家の門前を過ぎる者がいて、彼が言った。 【解説】磬は楽器の名、石を打って音を出す。蕢は土を入れて運ぶモッコのこと。 【書き下し】既にして曰く、鄙しいかな、硜硜乎たり、己を知ること莫くば、斯ち已んなまく己み、深くは則ち獅オ、浅くは則ち掲せよ、子の曰く、果たせるかな、難いこと未し、 【訳】しばし聞いた後にまた言った。卑しい音だ。ただ石の硬い音だけが響いているだけだ。自分が認められないのなら辞めるだけだ。詩に、「水を渡るに深ければ衣を脱いで下着だけになり、浅ければ裾を掲げる」とある。先生が仰った。思い切りがいいな。そういう生き方なら何も難しいことはない。 【解説】硜硜は、ただの石を打つ音。獅ヘ衣を脱いで下着だけになること。掲は裾を揚げること。深則氏A浅則掲は詩経の衛風匏有苦葉の篇の詩の一節。これは孔子が世に処すること、理想を掲げるばかりで時と共に行わない様子を謗ったのだ。 43(375) 子張曰書伝…
○ 【書き下し】子張の曰く、書に云わく、高宗諒陰三年言わず、何と謂うことぞ、 【訳】子張が言った。書経には、高宗は父の服喪中の三年間、何も命令を発しなかったとのことだが、どういうことですか。 【解説】書経の商書説命周書無逸の一節。高宗は商王武丁の廟号。諒陰は天子が喪中であること。 【書き下し】子の曰く、何ぞ必ずしも高宗のみならん、古の人、皆然り、君薨ずるとき、百官己を総べて以て冢宰に聴うこと三年、 【訳】先生が仰った。別に高宗に限ったことではない。古の人は皆そうしたものだった。君主が薨去したときは、すべての業務は君主を補佐する冢宰が取り仕切った。 【解説】冢宰は江戸幕府で言えば老中といったところ。 44(376) 子曰上好禮…
○ 【書き下し】子の曰く、上、礼を好むときは、則ち民使い易し、 【訳】為政者が礼を好み、身を修めて政事を行えば、万民は為政者を敬い信頼するので、使い用いることが容易である。 【解説】礼を好むとは、下の者に礼を求めるのではなく、自らが礼に基づいた言行を心がけることである。 45(377) 子路問君子…
○ 【書き下し】子路、君子を問う、子の曰く、己を脩むるに敬を以ってす、曰く、斯の如くなる已か、曰く、己を脩めて以って人を安んず、 【訳】子路が君子について質問した。先生が仰った。己を修めるには何事も敬を以ってすることだ。子路が言った。それだけですか。先生が仰った。敬を以って己を修めれば、人は安心してついて来る。 【解説】ここで云う君子は権力の側に立つ者のこと。大事なのは、何事をも敬うことであって、羨んだり蔑んだりすることではない。 【書き下し】曰く、斯の如くなる已か、曰く、己を脩めて以って百姓を安んず、己を脩めて以って百姓を安んずること、堯舜も其れ猶諸を病めり、 【訳】子路が言った。それだけですか。先生が仰った。敬を以って己を修めれば、天下万民が安心して順う。敬を以って己を修めて天下万民が安心して順い暮らせる世の中になったとしても、聖人の堯や舜は自分の知らないところにまだ不安の中で暮らしている民がいるのではないかと考えて思い悩んだものだ。 【解説】子路はさらに質問を重ね、孔子が答える。 46(378) 原壤夷俟…
○ 【書き下し】原壤、夷して俟つ、子の曰く、幼いとき孫弟ならず、長となって述ぶること無く、老いて死なざる、是れを賊と為すといいて、杖を以って其の脛を叩く、 【訳】原壤がうずくまって孔子が来るのを待っていた。先生が仰った。幼い頃は年長者に従わず、大人になってからは、述べるべき善行はなく、老いてもまだ生きながらえている。こういう者こそ世の中の賊だ。孔子は杖で彼の脛を叩いた。 【解説】原壤は孔子の旧友。ただし老子の流れにして、自ら礼法を無視する者である。 47(379) 闕黨童子將命…
○ 【書き下し】闕党の童子、命を将う、或る人これを問いて曰く、益者か、 【訳】闕党という村からやって来た童子が孔子に学問を教わりながら取次役をしていた。或る人が質問して言った。あの童子は勉強熱心で将来有望なのですか。 【解説】闕党は党(村)の名。童子は未だ元服していない者。客の命を取次のは原則的には成人のする事だが、童子を用いることもあるにより、孔子はこれをさせていた。益者は勉強熱心で将来有望といった意。 【書き下し】子の曰く、吾れ其の位に居るを見る、其の先生と並び行くことを見る、益者を求むるに非ざるなり、速やかに成らまく欲する者なり、 【訳】先生が仰った。童子は秩序として隅に座すものだが、正位に座して成人と列を同じくするのを見たし、童子は長者に随い行くべきなのに成人と並んで行くところを見た。この様子から、この童子は将来有望なのではなく、早く大人になりたいだけなのだとわかった。そこで、取次使令の役をさせ、長少の序でを見せつけ、謙譲の基本を教えているのです。 【解説】孔子はこの童子に、決して目をかけているわけではないのだ。 |
最終更新日:令和02年10月21日
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