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漢文として楽しむ論語 先進第十一 4/4トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 25(278) 子路曾ル冉有公西華侍坐…
○ 【書き下し】子路曽ル冉有公西華侍坐せり、 【訳】子路、曽ル、冉有、公西華が孔子の側に座っていた。 【解説】曽ルは曽子の父、名は点、字は子ル。 【書き下し】子の曰く、吾れ爾より一日も長ぜるを以って、吾れを以ってすること毋れ、居るときは則ち曰く、吾れを知らずと、もし爾を知ること或らば、則ち何を以ってかせんや、 【訳】先生が仰った。私は君たちより年長だからといって、話をするのに何も憚ることはない。普段、君たちは、自分は世間に知られていないから用いられない、とため息まじりに言っているようだが、もし、君たちが知られて用いられることがあれば、どんなことをやりたいのか。 【解説】居則曰の居るときとは、普段は、といった意。 【書き下し】子路、率爾として対えて曰く、 【訳】子路がいきなり答えて言った。 【解説】率爾はいきなりと云う意。尊者から質問されたときは、己を顧み、言葉を譲るのが、答える作法である。子路は諸弟子より年長なので、先ず答えるのは順当ではあるが、年少の諸弟子に対して、自分が先ず答えることの了解を得てからにするものである。しかし子路は気質が剛勇なので、そういった配慮をせず、粗忽にもいきなり答えたのだ。 【書き下し】千乗之国、大国の間に摂まり、之に加うるに師旅を以ってし、之に因るに飢饉を以ってせん、 【訳】戦車が千台ある国が、なおそれよりも大きい国々の中に挟まって対峙しているときには、戦争や飢饉にもなるでしょう。 【解説】千乗之国は戦車が千台ある国で、そこそこの大国である。師旅は軍隊のこと、師は二千五百人、旅は五百人の軍。軍隊を以ってすることと云えば、要するに戦争である。 【書き下し】由 之の為めは三年に及ぶ比いに、勇有って且た方を知ら使む可し、 【訳】そのようなとき、由=子路=私は人々を義に向かうように教えるが、三年もすれば民は勇気をもって義に向かうようになるでしょう。 【解説】方は義に向かうことを指す。 【書き下し】夫子之を哂う、 【訳】先生はちょっと笑った。 【解説】笑った理由は後に明らかになる。 【書き下し】求、爾は如何、対えて曰く、 【訳】求=冉有、君はどうだ。求が答えて言った。 【解説】まず孔子の問いかけから始まるが、年齢の序でからすれば子路の次は曽ルである。しかし曽ルは、後に出て来るが、このとき瑟を弾いていたので、先に求、次いで赤に問いかけたのだ。 【書き下し】方六七十、如五六十、求、之を為めば、三年に及ぶ比いに、民を足ら使む可し、其の礼楽の如くは、以って君子を俟たん、 【訳】四方が六七十里の小国かさらに小さい五六十里の国で、求=私が治めれば、三年で衣食が事足りるようにする。ただし礼楽などについては、私はわからないので、誰か君子にお願いしたい。 【解説】礼は民情を節制し、楽は民心を和悦させるもの。衣食が足りるようになったら礼楽を施すべきである。しかし求は礼楽の知識がないので、誰か知識のある君子にお願いしたいと言ったのだ。ただし求=冉有は、謙退な人柄なので、子路が大言して笑われたのを見て、其の言葉はいよいよ謙り、大国ではなく小国と云い、治めても教えることはしないとしたのだ。 【書き下し】赤、爾は如何、対えて曰く、 【訳】赤=公西華、君はどうだ。赤が答えて言った。 【解説】次いで孔子は赤に問いかけ、赤は次のように答えた。 【書き下し】之を能くせんと曰うには非ず、願わくは学びん、宗廟の事、如くは会同に端章甫して、願わくば小相為らん、 【訳】私は国をよくしようといったことを云う能力はまだありません。願わくばもっと学びたいです。宗廟での諸侯の祭礼の事や、諸侯が天子に朝覲するときの補佐として、礼装でお仕えしたいところです。 【解説】公西華は礼楽の事に志がある。冉有が礼楽を君子に譲ると云ったばかりなので、まずは自分も礼楽の知識がないから学びたいことを謙辞として置いた。宗廟之事とは、諸侯の祭礼を指す。会同は諸侯が天子に朝覲すること。端と章甫は礼装のことで、端は玄端の服、章甫は礼冠の名。相は君礼を行う時に、補佐する者。小相とは、その頭ではなく、末に立つ者。これもまた謙辞である。 【書き下し】点、爾は如何、瑟を鼓くこと希なり、鏗爾として瑟を舍いて作って対えて曰く、三子の撰に異なり、子の曰く、何んぞ傷ましや、亦、各おの其の志を言うなり、 【訳】点=曽ル、君ははどうだ。そろそろ自分の番だと思いつつ瑟を弾く手を緩め、たまにボロン、ボロンと音を出していたとき、孔子の言葉を聞きいた。すぐに、瑟を置いて立ち、答えて言った。私の考えはすでに答えられた三子とは趣が異なります。 【解説】鏗爾は瑟を置いたときに出る音の様子。 【書き下し】子の曰く、何んぞ傷ましや、亦、各おの其の志を言うなり、 【訳】先生が仰った。かまわない。各々が自由にその志を言うだけだ。 【解説】人と異なっていても何ら問題ないと、孔子は励ましたのだ。 【書き下し】曰く、暮春には春服既に成る、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風じ、詠じて帰らん、 【訳】点が言った。春の終りに、新調した春服を着て、大人五六人、子供六七人で、沂の川で手足を清め、雨乞いの壇場の木陰で涼み、何か歌を詠じつつ帰りたい。 【解説】暮春は旧暦三月のこと、今の四月頃。冠者は冠を被った者すなわち大人。年齢は関係ない。沂は魯の城南にある川の名。浴は大昔の上巳(ひなまつり)の祓いを指し、手足を川の水で洗い清めること。舞雩は雨乞いの舞いのことで、ここではその場所を指す。樹木があり、心地よい風に涼める場所。喟は感嘆して発する声。 【書き下し】夫子喟然として歎じて曰く、吾れは点に与せん、 【訳】孔子は感嘆して仰った。私は点と同行したい。 【解説】他の弟子が堅苦しい理想だけを掲げる中、孔子は点の夢に心が洗われた気がしたのだろう。 【書き下し】三子出ず曽ル後れたり、曽ルの曰く、夫の三子の言うこと如何、子の曰く、亦た各おの其の志を言えらくのみ、曰く、夫子何ぞ由を哂える、 【訳】子路、冉有、公西華の三子が退出し、曽ルだけが後に残った。曽ルが言った。かの三子の言うことは如何ですか。先生が仰った。みなその志すところを言ったまでだ。曽ルが言った。どうして先生は由を笑ったのですか。 【解説】曽ルはかの問答に疑いがあったので、後に残った。 【書き下し】曰く、国を為むるには礼を以ってす、其の言譲らず、是故に之を哂う、唯、求は則ち邦に非ずや、安くんぞ方六七十、如くは五六十、邦に非ざる者を見ん、 【訳】先生が仰った。国を治めるには礼譲を旨とするものだ。しかし由の発言は礼譲をわきまえていない。だから笑った。とすると、求を笑わなかったのは、小さな取るに足りない国だからですか。孔子は、小さくても国は国だと答えた。 【解説】其言不譲の真意は、由が礼譲をわきまえず、大国云々と大きなことを言ったからだった。国を治めるには礼譲が大事なのに、自らは礼譲を蔑ろにしている。これでは言うこととやることが異なり、道に違う。だから笑ったのだった。しかし曽ルは、この其言不譲の真意がよくわからず、それならば、國ではなく邦と表記される小さな国ならば、求は笑われなかったのかと考えた。これに対して孔子は、小さくても国は国だと答えた。国の大小ではなく、謙譲して言っているかどうかが大事なのだが、まだそのことに曽ルは気づかなかった。 【書き下し】唯、赤は則ち邦に非ずや、宗廟会同、諸侯に非ずして何ぞ、赤、之が小為るは、孰か能く之が大為らん、 【訳】それでは、赤=公西華が言ったことは国を治めることになるのでしょうか。宗廟会同は諸侯の重要な国事だと思いますが。赤が末席の補佐役だとしたら、その上役は彼より優れていなければいけないわけだが、そんな人がどこにいるだろうか。 【解説】曽ルはまだ不譲の真意がわからなかったので、赤も笑われなかったことについて、質問したのだが、この赤についての答えに接して、漸く曽ルは不譲の真意を理解した。赤が小相と云うも、冉有の邦も、みな自分の能力を謙譲しての言葉であって、子路だけは自分の能力を謙譲することがなかったので笑われたのだと。 |
最終更新日:令和02年10月21日
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