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漢文として楽しむ論語 郷黨第十 3/3

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郷黨第十 1/3 2/3 3/3

10(245) 郷人飮酒…

郷人(きょう ひとの) 飮酒( いん しゅに)杖者(じょう しゃ ) (いずるときは)斯出(ここに いず )矣、郷人(きょう ひと ) (おにやらいするときは)朝服(ちょう ふくして)(たつ )阼階( そ かいに)

【書き下し】郷人の飲酒に杖者出るときは、斯に出ず、郷人儺するときは、朝服して阼階に立つ、

【訳】地元の人同士の飲み会が終わり帰るときは、準備に手間取る老人が退出するのを待ち合わせ、一緒に退出した。地元の人々が疫病をもたらす鬼を退散させる儀式を行うときは、

【解説】ここでは孔子が郷党=住んでいる集落で、郷人=住民と共に居るときのことを記す。古は歳会月会といった衆が集まる飲み会があった。杖者は老人のこと。地域住民の間では年長者を尊ぶので、何事も老人優先になる。儺は鬼やらい=疫病をもたらす鬼を退散させること。寒暑の移り変わる時、陰陽の気が速やかに去らずに滞る時は邪気となって疫病をもたらす。よって古より儺の礼があり、国家的には春、秋、冬に行われた。ただし民間の隅々まで遍く行われたのは除夜の儺だけだった。金眼の四つ目の面をつけて熊の皮を被り、黒と赤の衣裳を着て戈を取り、盾を挙げ、「鬼は出て行け」といったことを叫び、鼓を打って屋内を歩いて回った。今の節分の「鬼は外」の原型だろう。そもそも節分は旧暦の大晦日、除夜の儀式だったのだが、明治五年の西洋のキリスト教太陽暦導入により、節分と大晦日が別の日になってしまい、仕方なく分離されたのだ。阼階は東階段である。古は堂の東西に階段があり、西階段は客の、東は主人の階段だった。儺は戯れに近いものだが、古礼によることなので、孔子はその東階段に朝服=正装して立ち、誠敬を以ってこれに臨んだ。

11(246) 問人於他邦…

(とうときは)(ひとを)他邦( た ほうに)再拜( さい はいして)(おくる)(これを)康子( こう し ) (おくれり )(くすりを)(はいして)( うく)(これを)(の玉わく)(きゅう ) (いまだ/ず )(たっせ)()敢嘗(あえて なめ )

【書き下し】人を他邦に問うときは、再拝して之を送る、康子薬を饋れり、拝して之を受く、曰く、丘未だ達せず、敢えて嘗めずと、

【訳】孔子は他国に居る人の安否を調べるために使いを出すとき、その後から再拝して送り、親しくその尋ねる人に会うが如くにした。これは古代の礼である。季康子が孔子の病気を知り、薬を贈って来たことがある。孔子は拝して之を受け取った。本来であれば、尊者から頂く食物は、まず口に入れて味や効能を確認し、その後に拝するものなのだが、孔子は次のように仰った。この薬が自分に効くかどうかがわからないので、ただちに飲むことはできません。効くか否かを詳らかにした後に、飲むべきならば飲むし、飲まないべきなら飲みません。

【解説】ここでは孔子が人と交わるときの誠意を記す。問うとは安否を調べること。使者をその後ろから再拝して送り、親しくその尋ねる人に会うが如くにした。これは古代の礼である。

12(247) 廏焚…

(うまや ) (やけたり)() 退(まかりて )(ちょうより)(の玉わく)(そこなえりや )(ひとを)乎、()(とわ )(うまを)

【書き下し】厩焚けたり、子、朝より退りて、曰く、人を傷えりや、馬を問わず、

【訳】厩舎が火事になった。先生は急いで朝廷を退いて帰ってきて、仰った。誰か怪我をしなかったか、と。そして馬のことについては何も問わなかった。

【解説】古典落語の厩火事はこれを題材にしたもの。厩は天子諸侯の馬を飼うところ。孔子が大司寇となった時に魯君の厩が火事になったことがあり、その時のこと。

13(248) 君賜食…

(くん ) (たまうときは ) (しょくを)(かならず ) (ただしくて )(せきを)(まず ) (なむ )(これを)(くん ) (たまうときは ) (なましきを)必熟而(かならず にととのえて ) (すすむ)(これを)(くん ) (たまうときは ) (いくるを)(かならず) ( かう)(これを)

【書き下し】君、食を賜うときは、必ず席を正しくして、先ず之を嘗む、君、腥を賜うときは、必ず熟えて之を薦む、君、生るを賜うときは、必ず之を畜う、

【訳】お仕えする君から料理を賜ったときは、席をきちんと正しく直してから、まず自分が嘗めた。その後、使者に対して拝謝し、残りは家衆に分け与えた。君より生肉を賜ったときは、必ず煮整えて、ご先祖様の祭壇にお供えした。君より生きた動物を賜ったときは、必ず家畜として養い育てた。

【解説】ここでは孔子が君に仕えるときの礼を記す。嘗めるとは食べること。腥は生肉。賜ったのが料理の場合は廟のお供えの撤下品である可能性があるので、家の祭壇には供えない。家畜は祭祀や賓客のときに潰して食べるために養育しておく動物。

(じして )(しょくに)(くんに)君祭(くん まつるときは ) 先飯(さきに くらう)(やめるとき ) (くん ) (みれば)(これを)東首( とう しゅして)(くわえ)朝服(ちょう ふくを)(ひく )(しんを)(くん ) (めいじて ) (めすときは)(ずして)(また )(かを ) (ゆく )矣、

【書き下し】食に君に侍して、君 祭るときは先ず飯う、疾めるとき、君、之を視れば、東首して、朝服を加え、紳を拖く、君、命じて召すときは、駕を俟たずして行く、

【訳】君にお相伴して共に食するときは、君が祭をしている間に、孔子が毒味のために先に食べた。孔子が病気が重くなったとき、魯君が見舞いに来たときは、東を枕にして、病服の上から朝服=正装で覆い、大帯を上に置いて失礼のないようにした。君の命令で召されたときは、乗り物の準備を待たずに歩いて行った。

【解説】ここでの祭は料理の一部を取り分けて神々や祖霊にお供えすること。先飯は君が食べる前に毒味をすること。天地の生気は東方に始まるので、東を枕にするのが礼である。紳は朝服用の大帯。駕は乗り物、車馬のこと。大夫は原則として徒歩で行くことはないのだが、君命に素早く応じるために、車馬の準備を待たずに歩いて行き、車馬が途中で追いついて来たら、そこから乗って行った。

14(249) 入於大廟毎事問

(いりて)大廟( たい びょうに) (ごとに)(こと ) (とう )

【書き下し】大廟に入りて事毎に問う、

【解説】八佾第三15の前半と同じ。

15(250) 朋友死…

朋友死( ほう ゆう しして ) (なければ )(ところ )(よる )(の玉わく)(おいて)(われに ) (ひんせよ)朋友( ほう ゆうの) 之饋( おくりものは)(いえども)車馬( しゃ ばと )(あらざれば)祭肉( さい にくに)()(はいせ)

【書き下し】朋友死して、帰る所無ければ、曰く、我に於いて殯せよ、朋友饋は、車馬と雖も、祭肉に非ざれば拝せず、

【訳】朋友が死んでその遺体を引き取る家がないときに、先生が仰った。取り敢えず私の家に安置して殯をする。また朋友の贈り物は、車馬という高価なものであっても、貰う理由があればそのまま受け取り、拝して謝するようなことはしない。ただしその人の祭のお供えの肉を贈られて受け取るときだけは、拝受して、その人の祖先を敬することを、自分の祖先の如くした。

【解説】ここでは孔子が朋友と交わるときの様子を記す。朋友は義を以って相結ぶ者である。殯はもがりのこと、入棺して未だ葬らない間、その家に安置して朝夕に喪の儀式を行うことを云う。そのため、他人の棺を受け入れることは、甚だ忌むことである。それでも孔子は自分の家に殯させて其の喪主となったのだ。また朋友は貧富相助け合って資財を通用するものでもある。したがってどんなに高価な贈り物を受け取っても、貰う義理があるのならば、特に感謝の意を表すようなことはしないのだ。

16(251) 寢不尸…

(いぬるときは) ()(しかばねの如くせ)(おるときは) ()(かたちぶりせ)(みては)齊衰者( し さいする ものを)(いうとも ) (なれたりと ) 必變(かならず へんず)(みては)冕者( へん しゃと) ( とを)瞽者( ご しゃ )(いうとも ) (せつなりと)(かならず ) (もってす ) (かたちを)

【書き下し】寝るときは尸の如くせず、居るときは容りせず、斉衰する者を見ては、狎たりと雖も必ず変ず、冕者と瞽者とを見ては、褻なりと雖も必ず貌を以ってす、

【訳】寝るときは死体のように手足を伸ばさず、身体を少し屈めた。自宅で寛ぐときは、畏まらずに衣服や容姿に気を使わず、のんびりと寛いだ。喪服を着た人と会うと、親しく馴染んでいる人であっても、必ず謹んだ態度に変じ改めた。冠をつけた人と視覚障碍者に出会ったときは、改まった場所でなくても必ず礼儀正しくした。これは位があることを尊び、障碍のあることを哀れんだことによる。

【解説】ここでは孔子の容貌の変化を記す。齊衰者は喪服を着た人。狎は、馴染むということ。褻は、普段の、日常的なという意。

凶服者(きょう ふくの ものには ) (しょくす)(これに)(しょくす)( おう)(はんを) (ものに)(あれば)盛饌( せい せん )(かならず ) (へんじて)(いろを)(たつ )迅雷( じん らい ) 風烈(ふう れつのときは ) 必變(かならず へんず)

【書き下し】凶服の者には之に式す、版を負う者に式す、盛饌有れば、必ず色を変じて作つ、迅雷風烈のときは、必ず変ず、

【訳】喪服の者を車上から見かけると、それが知らない人であっても、横木に手をかけて俯く礼をして敬した。地図や戸籍簿を持った役人も、同様に敬した。客となってたくさんの料理でもてなされたときは、主人の礼意が重いことを感じて、顔色を喜ばしく変えて必ず起立して敬した。突然の激しい雷や猛烈な風のときは、天の怒気だから、必ず心を引き締め変じて、これを敬した。

【解説】凶服は喪服のこと。式とは車の前にある横木。負は持つこと。版とは地図や人民の数等を記したいわゆる戸籍簿のような板。盛饌は料理がたくさん盛られた様子。迅雷は突然の激しい雷。

17(252) 升車必ず正立執綏…

(のぼるときは) (くるまに ) 必正立(かならず ただしく たって) ( とる)(すいを)車中(しゃ ちゅうには) ()内顧( うち かえりみ)()疾言( とく ものいわ)()親指(したしく ゆびささ)

【書き下し】車に升るときは必ず正しく立って綏を執る、車中には内顧ず、疾くもの言わず、親しく指ささず、

【訳】車にのぼって乗り込むときは、必ず姿勢を正して立ち、縄をしっかりと持って引く。車中では車内をキョロキョロ顧みない。早口では話さない。何かを指さすようなことはしない。このようなことをすると荘敬の容を失うからだ。必要がなければ不動で物静かにしているのが君子である。

【解説】ここでは孔子が車の乗るときの様子を記す。綏は引いてのぼる縄。

18(253) 色斯擧矣…

(いろのままに ) 斯擧(ここに あがりて)矣、(かけりて)後集(のちに あつまる)(の玉わく)山梁( さん りょうの) 雌雉(しち)時哉( とき なるかな) 時哉( とき なるかな)子路(しろ) (そなう)(これを)三嗅(みたび かいで)(たつ )

【書き下し】色のままに斯に挙がり、翔って後に集まる、曰く、山梁の雌雉、時なる哉、時なる哉、子路之を共う、三たび嗅いで作つ、

【訳】鳥は人の顔色をがよくないのを見ると飛び上がり、しばらく上空を翔け巡って後にしかるべきところに下りて集まって止まる。先生が仰った。山道の橋にいる雌雉は、時をわきまえている、時をわきまえている。子路は時をわきまえているということの意を勘違いして雉を料理して孔子に召しあがるようにと、供えた。孔子は雉を食せず、その気を三たび嗅いで席を立った。子路がまだ達していないことを諭したのだ。

【解説】色は人の顔色のこと。挙は飛び上がること。翔は羽を広げて飛んでいる様子。山梁は山道の橋。雌雉はメスのキジ。これは孔子がたまたま山梁の橋で雌雉を見て、その様子が逍遥閑適なのを見て、雉は時をわきまえているが、人は往々にして時を失うと、嘆いた言葉である。

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最終更新日:令和02年10月21日 学易有丘会
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