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漢文として楽しむ論語 泰伯第八 1/3

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泰伯第八 1/3 2/3 3/3

泰伯(たいはく)とはこの篇の題名で、冒頭の二文字を取って音読みしたに過ぎない。論語二十篇の第八篇である。ここでは聖人が己を謙って、人に教えた言葉、その容貌行事についてを記す。

1(185) 子曰泰伯…

子曰( しの の玉わく)泰伯( たい はくは) (それ ) (べからく)(いいつ)至徳( し とくと)(のみ )矣、(みたび) (もって)天下( てん かを )(ゆずる)(たみ ) (なし )(えて )(しょうすること)焉、

【書き下し】子の曰く、泰伯は其れ至徳といいつ可からくのみ、三たび天下を以って譲る、民得て称すること無し、

【訳】先生が仰った。泰伯はその徳が至極だ。天下を譲っても、それを人々に知らせることもなかったので、誰にも称えられなかったが。

【解説】泰伯は殷末の、周の武王の曾祖父古公亶父(ここうたんぽ)の子。古公は後に太王と追号される。その古公すなわち太王には三人の子があった。長は泰伯、次は仲雍、次は季歴という。殷が衰え、周が強大になりつつある頃、季歴には子の昌が生まれた。太王には殷を滅ぼし、周を興そうとする志があったが、泰伯は君臣の常道を守ってその志に従わなかった。太王はついに位を季歴に譲り、行く行くは孫の昌に継承させようとした。泰伯はこれを知り、位の継承が円滑になるようにと、弟の仲雍と共に逃れ去り、帰らなかった。その後、太王は季歴に周を委ね、その子の昌のときには天下を三分してその二つを保つようになった。この昌が文王である。文王が崩じて子の發が立つと、遂に殷の紂王を撃ち、周の天下とした。これが武王である。孔子は位を譲った泰伯を賛美して至徳と云う。三たび譲るの三たびとは、たった一度譲っただけだが、三度も要請されてそれでも譲ったかのように、固辞して譲ったという意。

2(186) 子曰恭而無禮則勞…

子曰( しの の玉わく)恭而(うやうやしくして ) (なきときは)(れい ) (すなわち ) (つかれる)愼而(つつしんで  ) (なきときは)(れい ) (すなわち ) (おそる)勇而(ゆうにして  ) (なきときは)(れい ) (すなわち ) (みだる)直而(ちょくにして ) (なきときは)(れい ) (すなわち ) (せまし)

【書き下し】子の曰く、恭しくて礼無きときは則ち労かわし、慎んで礼無きときは則ち葸る、勇にして礼無きときは則ち乱る、直にして礼無きときは則ち絞し、

【訳】先生が仰った。恭しくても度が過ぎると煩わしく面倒になる。慎んでも度が過ぎると怖気づいているようなものだ。勇敢であっても度が過ぎると上を犯し、物を損なう。まっ直ぐでも度が過ぎると視野が狭くなる。

【解説】労かわしとは、煩わしく面倒なこと。無礼とは、過ぎること。葸るとは、おじけずくこと。

君子( くん し ) (あつきときは)(おやに)(すなわち ) (たみ ) (おこす)(じんを)故舊( こ きゅう ) (ざるときは)(わすれ)(すなわち ) (たみ )()(うすから)

【書き下し】君子親に篤きときは、則ち民仁を興す、故旧遺れざるときは、則ち民偸からず、

【訳】君子がその親族に恩愛を篤くすれば、下民はこれに感じて仁道を興すようになる。旧友とのよしみを忘れず、長く捨てない時は、民もまたこれに化して人情が厚くなる。

【解説】君子は上にある人を指す。故旧は朋友臣属の古きよしみある者を云う。

3(187) 曾子有疾召門弟子…

曾子( そう し ) ( あり)(やまい)(よんで)門弟子( もん で しを )(いわく)(ひらけ)予足( わが あしを)(ひらけ)予手( わが てを )

【書き下し】曽子疾有り、門弟子を召んで曰く、予が足を啓け、予が手を啓け、

【訳】曽子が重い病気で死にそうな時、同門の弟子たちを呼んで言った。私の足を蔽う布を開き、手を蔽う布を啓け。

【解説】死が近いと自覚し、この時まで身体に毀傷を免れことを示すため、手足を見せようとした。孝経の身体髪膚これ父母に受く、敢えて毀傷せずは孝の始めなり、とあるように、自分の身体に傷をつけないことが親孝行の第一歩であって、それは達成したということ。

詩云( しに いう )戰戰兢兢( せん せん きょう きょう)(ごとく)(のぞむが)深淵(ふかき ふちに)(ごとしと)(ふむが)薄冰(うすき ひを )而今而( いまにして ) (のちに)(われ ) (しんぬるかな) 免夫、(まぬかれぬということを ) 小子(しょう し )

【書き下し】詩に云く、戦々兢々、深き淵に臨むが如く、薄き冰を履むが如し、今にして後に、吾免れぬということを知んぬるかな、小子、

【訳】詩の言葉に、戦々兢々として恐れ戒め慎んで身を守り、深い淵に臨んで落ちることを恐れ、薄い氷を履んで陥ることを恐れる如くだとあるが、今、死に臨む時までに、なんとかそんな危険に陥ることもなく、この身を守り通してこれた。なあ、同門の皆よ。

【解説】これは毛詩=詩経の小雅小旻篇にある。

4(188) 曾子有疾孟敬子問之…

曾子( そう し )( あり)(やまい)孟敬子( もう けい し ) ( とう)(これを)曾子( そう し ) 言曰(いって いわく)(とりの)(まさに/するときは) (しなんと)其鳴( その なくこと)(かなし)(ひとの)(まさに/するときは) (しなんと)其言( その いうこと)(よし )

【書き下し】曽子疾有り、孟敬子之を問う、曽子言って曰く、鳥の將に死なんとするときは、其の鳴くこと哀し、人の將に死なんとするときは、其の言うこと善し、

【訳】曽子の重い病気に際し、孟敬子がその様子を伺いに来た。曽子が自ら言った。鳥は死期が近づくと鳴き声が哀しくなる。人は死期が近づくと、生気が薄れ、欲がなくなり、言うことが善人のようになる。

【解説】孟敬子は魯の大夫孟孫氏、名は捷、敬はその諡、孟武伯の子。これは曽子の謙遜の言葉で、これから話すことを忘れないで欲しいと願ってのことである。

君子( くん し )(ところの) (たっとぶ)(みちに)者三( もの みっつ)

【書き下し】君子、道に貴ぶ所の者三つ、

【訳】君子は、道にはとても大事なことが三つある。

【解説】君子は位にある人を云うが、これはその大夫という位にある敬子に対して告げる言葉である。

(うごかして)容貌( よう ぼうを) (ここに ) (とおざかり)暴慢( ぼう まんに)矣、(ただして)顔色( がん しょくを) (ここに ) (ちかづき)(しんに)矣、(いだして)辭氣( じ きを ) (ここに ) (とおざかる)鄙倍( ひ ばいに)矣、

【書き下し】容貌を動かして、斯に暴慢に遠ざかり、顔色を正して、斯に信に近づき、辞気に出して、斯に鄙倍に遠ざかる、

【訳】容貌を動かしていつもより重々しく恭しくすれば、粗雑で欲しいままの振る舞いから遠ざかることができる。顔色を正しく整えるときは、外面と内面が一致して、信実に近づく。言葉を発するときは、卑俗な言い方や理に背くことから遠ざかり、必ず典雅順正にする。この三つは身を修める要であって政をする基本、学者が常に省察して、心がけるべきことである。

【解説】容貌は一身の形すべて。これを動かすと言えば鎮まるをも兼ねている。暴は粗雑なこと、慢は欲しいままにすること。顔色を正すとは嘘をつかないこと。辞は言葉、気は息遣い、鄙は卑俗なこと、倍は理に背くこと。

籩豆( へん とうの)之、(ことは)(すなわち) 有司( ゆう し ) (そんす)

【書き下し】籩豆の事は、則ち有司、存す、

【訳】君子が重んじるのは上の三つであり、祭礼の細事などは、担当の役人に任せておけばよい。

【解説】籩豆は祭礼のときに供え物を盛る器。有司は役人。存すとは、つかさどり知ること。

5(189) 曾子曰以能問於不能…

曾子曰( そう しの いわく)(もって)(のうを ) (とい )不能( ふ のうに)(もって)(たを ) (とい )(かに )(あれども ) (ごとく)(なきが)(みてれども ) (ごとく)(むなしきが)(おかせども ) (しかも ) (ざること)(はから)

【書き下し】曽子の曰く、能を以って不能に問い、多を以って寡に問い、有れども無きが如く、実てれども虚しきが如く、犯せども而も校らざること、

【訳】曽子が言った。学問のためなら、自分より能力が下の者にも質問し、知識が多くても自分より知識が少ない人にも質問する。道を求める姿勢は、知識が有っても無いのと同様に捉え、充実していてもまだ足りなくて空虚だとし、自分が理不尽に犯されても心を動かさない、

【解説】これは曽子が顔子の徳を述べたもの。能とは学力の至る所。

(むかし)吾友( わが とも )(かつて ) (じゅう)()(じせり)(ここに)矣、

【書き下し】昔、吾友、嘗て斯に従事せり、

【訳】昔、わが友に、このように道に従事した人がいた。

【解説】顔子の死後に言ったもの。

6(190) 曾子曰可以託六尺之狐…

曾子曰( そう しの いわく)(べく )(もって) (たくす)六尺( りく せきの)(こを )(べく )(もって) (よす )百里(ひゃく りの )(めいを)(のぞんで)大節( たい せつに)()(べから) (うばう)也、君子( くん し ) (ひとか)與、君子( くん し ) (ひとなり)也、

【書き下し】曽子の曰く、以って六尺の孤を託く可く、以って百里の命を寄す可く、大節に臨んで奪う可からず、君子、人か、君子、人なり、

【訳】曽子が言った。ここに一人の臣がいる。其の才は先君卒する時、幼君をもりたてて、其の身を保ち、其の徳をなすことを以って、遺託せらるべきだ。諸侯にするべきだ。重大事変に臨んでも、死を以ってこれを守り、人に奪われ失わないようにする才徳がある。このような人物こそが君子なのだろうか。いや、君子なのだと断言できる。

【解説】ここでは大臣の才徳を論じる。六尺(約120cm)とは周礼二十五歳の男子を云う。孤は父亡きの称。百里とは諸侯の大国を云う。大節は大難のこととも。

7(191) 曾子曰士不可以不弘毅…

曾子曰( そう しの いわく)(しは ) ()(べから)(もって) ( ざる)弘毅( こう きなら)任重而(にん おもくして  ) 道遠( みち とおし)仁以( じん もって ) (なす )己任(おのが にんと)(ずや )(また ) (おもから)乎、(しして)後已(のちに やむ )(ずや )亦遠( また とおから)乎、

【書き下し】曽子の曰く、士、以って弘毅ならざるべからず、任重くして道遠し、仁以って己が任と為す、亦、重たからずや、死して後に已む、亦、遠からずや、

【訳】曽子が言った。士と称するのであれば、弘毅でなければいけない。士の任務は重く、往くところの道も遠い。仁を以って、自分の任務としなくてはいけない。なんと重いことか。それが死ぬまで続き、死んだ後にようやく解放される。この道はなんと遠いことか。

【解説】弘毅は、徳量ゆたかにひろく、節操が固く強いこと。

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最終更新日:令和02年09月06日 学易有丘会
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