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漢文として楽しむ論語 公冶長第五 3/4

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15(107) 子謂子産…

() (の玉わく)子産( し さんを)(あり )君子( くん しの )(みち ) (よっつ)焉、

【書き下し】子子産を謂く、君子之道四つ有り、

【訳】先生が子産のことを仰った。子産が守った君子の道は四つあった。

【解説】子産は鄭の大夫公孫僑のこと。孔子より一世代上の人。

(その ) (おこなうこと) (おのれを)(きょうあり)(その ) (つかえまつること)(かみに)(けいあり)(その ) (やしなうこと)(たみを)(けいあり)(その ) 使(つかうこと)(たみを)(ぎあり)

【書き下し】其の己を行うこと恭あり、其の上に事えること敬あり、其の民を養うこと恵あり、其の民を使うこと義あり、

【訳】行いは恭しく謙ること、君親および自分より目上の人に事えるときは慎み怠らず敬うこと、民を養うときは民を愛し民を利益を大事にして、恩恵を深くすること、民を使うときは義のよろしきに敵うよう、必要最低限にすること。

【解説】子産の君子の道が四つだというのは、四つだけということではない。他にもいろいろあるうちの、特にこの四つが際立っていた、ということである。

16(108) 子曰晏平仲…

子曰( しの の玉わく)晏平仲( あん ぺい ちゅう)(よく ) ()(ひと ) (まじわる)久而(ひさしゅうして ) (けいす)(これを)

【書き下し】子の曰く、晏平仲、善く人と交わる、久しゅうして之を敬す、

【訳】先生が仰った。晏平仲は人との付き合い方がとてもよかった。長く付き合っていても馴れ馴れしくせず、きちんと相手を敬っていた。

【解説】晏平仲は斉の大夫晏氏、孔子の友。これは、彼の人と交わる道のよいことを褒めたもの。

17(109) 子曰臧文仲居蔡…

子曰( しの の玉わく)臧文仲( ぞう ぶん ちゅう)(おさむるに)(かめを)(やまして) (ますがたに) ( もす)(うだつに)何如(いかんしてか) 其知( それ ちならん)也、

【書き下し】子の玉わく、臧文仲、蔡を居るに、節に山して梲に藻す、如何してか 其れ知ならん、

【訳】先生が仰った。臧文仲は大夫という地位でありながら、天子の宗廟を模倣して室に蔡という大きな亀を納め置き、柱の上部には山形の飾りを刻み、梲には藻を描いた。僭越なこと甚だしい非礼である。このような人物をどうして知者と言えようか。

【解説】臧文仲は魯の大夫臧孫氏、名は辰、文仲は諡と字。(さい)は大亀の名、占いに用いる宝。古の礼、諸侯は室をつくり、大亀を納め置く、これを守亀(しゅき)と云う。地位の低い大夫は亀を宝とすることはできない。節とは梁を支える柱の上部にある桝形の部分のこと。(せつ)は「うだつが上がらない」の「うだつ」のことで、梁の上に立てる短い柱。節の枡形の装飾に山を刻み、梲に海草の藻を描くのは、天子の宗廟の飾りである。文仲は亀を宝とするばかりでなく、天子の宗廟と同じ装飾を施しているのだから、その僭越いよいよ甚だしい。世間では知者で通っているようだが、本当の知者ならば、こんな非礼なことは決してしないはず。

18(110) 子張問曰令尹子文…

子張( し ちょう ) 問曰(といて いわく)令尹子文( れい いん し ぶん ) 三仕(みたび つかえて ) (たれども)令尹( れい いん )(なく )喜色(よろこべる いろも)(みたび ) (やめるとも)(これを)(なし )慍色(いかれる いろも)也、

【書き下し】子張問いて曰く、令尹子文、三たび仕えて令尹と為れども、喜べる色も無く、三たび之を已めるとも、慍れる色も無し、

【訳】子張が質問して言った。子文は楚に仕えて三度令尹と為ったが、喜ぶことは無く、三度令尹の官を辞めたときも、慍ることは無かった。

【解説】令尹は楚国の上卿として政を執る官の名。子文は、姓は(とう)、名は穀於菟(こくおと)、子文は字。

舊令尹之政(きゅう れい いんの まつりごと)必以(かならず もって) ( つぐ)新令尹( しん れい いんに)何如( いかん )

【書き下し】旧令尹の政、必ず以って新令尹に告ぐ、何如ん、

【訳】子文は令尹を辞めるときに慍らなかったばかりではなく、新しい令尹にきちんと政務の引継ぎを行った。このような人をどう評価しますか。

【解説】新旧交代のとき、特に辞めさせられたときなど、引き継ぎらしいことは何もしないことが多いのが、当時だったのだろう。

子曰( しの の玉わく)忠矣(ちゅうあり  )(いわく)仁矣(じんありや  )乎、(の玉わく)(いまだ/ず)(しら )(いずくんぞ) ( えん)(じんを)

【書き下し】子の曰く、忠あり、曰く、仁ありや、曰く、未だ知らず、焉んぞ仁を得ん、

【訳】先生が仰った。忠を心得た人だ。子張が言った。仁の徳はありますか。先生が仰った。そこまではわからない。

【解説】自分のためなら喜怒の情が出るものだが、常に国のためを思って行動しているので、喜びも慍りもなく冷静でいられ、やるべきこともきちんとやれるのだ。これは忠たることが盛んだからこそである。しかし子張は、忠ではなく仁だと思っていたので、改めて子文は仁の徳があるかと質問した。孔子は、子文のこの行動は確かに普通の人にはなかなかできないことだが、これだけでは心の底の本心がわからないので、迂闊には判断できないと考えたのだ。

崔子( さい し ) (ころす)齊君(せいの きみを)陳文子( ちん ぶん し ) ( あり)馬十乘( うま じゅう じょう)(すてて)( さる)(これを)

【書き下し】崔子斉の君を弑す、陳文子馬十乗有り、棄てて之を違る、

【訳】崔子は乱を起こして斉の荘公を弑した。陳文子はこの乱は最早鎮まらないと考え、馬車十乗の富を捨てて国を去った。

【解説】崔子は斉の大夫崔氏、名は杼。斉君は荘公、名は光。陳文子も斉の大夫陳氏、名は須無。馬十乗は四頭立ての馬車十両(馬四十頭に車十両)をいう。古は馬車の数で富を称した。

(いたりて)他邦( た ほうに)則曰(すなわち いわく)(ごとくなり)吾大夫( わが たい ふ ) 崔子( さい しが )( さる)(これを)

【書き下し】他邦に至りて、則ち曰く、吾大夫崔子が如くなり、之を違る、

【訳】本国を去って他国に行き、その国の様子を見て言った。なお吾国の大夫崔子が如くに乱れているではないか。そこで、その国も去った。

(ゆきて)一邦( いち ほうに)則又曰(すなわち また いわく)(ごとくなり)吾大夫( わが たい ふ ) 崔子( さい しが )( さる)(これを)何如( いかん )

【書き下し】一邦に之きて、則ち又曰く、吾大夫崔子が如くなり、之を違る、如何、

【訳】また別のひとつの国に行き、その国の様子を見て言った。なお吾国の大夫崔子が如くに乱れているではないか。そこで、その国も去った。この人をどう評価しますか。

子曰( しの の玉わく)清矣(いさぎよし  )(いわく)仁矣(じんありや)乎、(の玉わく)(いまだ/ず)(しら )(いずくんぞ) ( えん)(じんを)

【書き下し】子の曰く、清ぎよし、曰、仁ありや、曰く、未だ知らず、焉んぞ仁を得ん、

【訳】先生が仰った。清ぎよいことだ。子張が言った。仁の徳はありますか。先生が仰った。そこまではわからない。

【解説】文子の行動はいさぎよいとしても、これだけでその心の底の本心はわからないので、仁についてはわからないとした。子張はちょっとでも善があると、すぐ仁に結び付けようとするが、仁はそんなに安直なものではないのだ。

19(111) 季文子…

季文子( き ぶん し )三思(みたび おもって ) 而後行(しこうして のちに おこなう)() (きいて)(これを ) (の玉わく)再斯(ふたたびして ) (かなり)矣、

【書き下し】季文子、三たび思って而して後に行う、子これを聞いて曰く、再びして可なり、

【訳】季文子は、何かを行うとき、三度考えてから行った。先生はこの話を聞いて仰った。二度考えたら実行するのでよい。

【解説】季文子は魯の大夫季孫氏。文子は孔子より前の人なので、聞くとは伝え聞いたということ。何かを行おうと思ったとき、その事の是非をつらつら思案して、その是非の答えを出すのが一度目。しかし未だ考えを尽くしていない部分はないだろうかと、重ねて思案して、最初と同じ答えになったときは、それが最善の答えである。然るにさらにまた思案して三度に及ぶと、私意がおこり、或いは利害の企みに流れ、或いは自分の性格や習慣によって偏向するので、却って惑いを生じるのである。したがって孔子はそれを謗り、二度で実行してよいとしたのだ。

20(112) 子曰ィ武子…

子曰( しの の玉わく)ィ武子( ねい ぶ し )(くに ) (あるをば)(みち ) 則知(すなわち ちあり)(くに ) (なきときは )(みち ) 則愚(すなわち ぐなり)其知( その ちは ) (べし )(およぶ) 也、其愚( その ぐは ) (ざるなり)(べから)(およぶ) 也、

【書き下し】子の曰く、ィ武子、邦道有るおば則ち知あり、邦道無きときは則ち愚なり、其の知は及ぶ可し、その愚は及ぶ可からずなり、

【訳】ィ武子は、邦が治まっている時は知者として職務についていたが、特に目立つことはなく、その知のレベルは誰でも及ぶものだった。ところが邦が乱れ、君が国を失い流浪すると、多くの知巧の者は、みな其の難を逃れて職務を放棄したのだった。しかし彼だけはよくこれに耐え、愚直なるが如く、よくその下級役人としての職務を勤め、その間に上手く立ち回り謀を尽くして君を救い、その身を保った。その愚は誰にも真似できないことだ。

【解説】ィ武子は衛の大夫。有道無道は治乱を以って云う。

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最終更新日:令和05年01月28日 学易有丘会
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