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漢文として楽しむ論語 八佾第三 3/3

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八佾第三 1/3  2/3  3/3

20(60) 子曰關雎樂而不淫…

子曰( しの の玉わく)關雎( かん しょは ) 樂而(たのしんでも )()(おぼれ)哀而(かなしんでも )()(やぶら)

【書き下し】子の曰く、関雎は楽しんでも淫れず、哀んでも傷らず、

【訳】先生が仰った。関雎の詩は、楽しんでもその楽しみに溺れることはなく、哀しんでもその哀しみに心が破られるほどのことはない。

【解説】関雎は詩経の国風周南の首篇、文王が王季の世子の時、その妃の徳を、官女が詠じた詩。このように楽しんでも哀しんでも、度を過ごさないことが大事なのだ。

21(61) 哀公問社於宰我…

哀公( あい こう ) (とう )(しゃを)宰我( さい がに )

【書き下し】哀公社を宰我に問う、

【訳】哀公が土地の神を祭る社の木のことを宰我に質問した。

【解説】哀公は魯の君主で定公の子。宰我は孔子の弟子、名は予、字は子我。

宰我( さい が ) 對曰(こたえて いわく)夏后氏( か こう しは ) (もってす)(まつを)殷人( いん ひとは ) (もってす) (ひのきを)周人(しゅう ひとは ) (もってす)(くりを)(いわく)使(しめんとなり) (たみをして) 戰栗( せん りつなら)

【書き下し】宰我対えて曰く、夏后氏は松を以ってす、殷人は柏を以ってす、周人は栗を以ってす、曰く、民をして戦栗なら使めんとなり、

【訳】宰我が答えて言った。夏后氏は松を植えた。殷の人は柏を植えた。周の人は栗を植えた。周が栗を植えたのは、民衆を戦慄させようとしてのことだとも言われている。

【解説】これは三代の制が同じではないことを以って、社に植えた木が異なることを云う。柏はヒノキ類のこと。夏后氏とは夏の王のことで、位を前帝の舜から受け継いだから后(後の君という意)と云い、氏は世を重ねた家の称。殷と周の王は、その時代の人々の願いで位に就いたから人という。戦慄は恐れおののくこと。周人が栗を植えたのは、古は社が人を刑する場所でもあったので、罪人を戦慄させようとして戦慄の慄の字から栗を選んで植えたのだ、という言い伝えもあったという。

() (きいて)(これを ) (の玉わく)成事(なりし ことは) () (とか )遂事(とげし ことは) ()(いさめ)既往(すでに ゆきにしをば) ()(とがめ)

【書き下し】子これを聞いて曰く、成りし事は説じ、遂げし事は諫めじ、既に往きにしは咎めじ、

【訳】孔子がこれを聞いて仰った。すでに成り定まった事はその是非を説いても仕方ない、すでに遂げた事は今更諫めても仕方ない、すでに過ぎた事は追い咎めても仕方ない。

【解説】これみな宰我の失言を責める言葉である。宰我が答えたのは社の本意でないばかりか、戦慄という言葉で君の刑殺の心を開いたからである。

22(62) 子曰管仲之器小哉…

子曰( しの の玉わく)管仲( かん ちゅうの)(うつわは ) 小哉(ちいさきなるかな)或曰(ある人 いわく)管仲( かん ちゅう ) 儉乎(けんなりき  )

【書き下し】子の曰く、管仲の器は小さきなる哉、或る人曰く、管仲倹なりき、

【訳】先生が仰った。管仲は器量が小さい。ある人が言った。管仲は器が小さいのではなく、倹約なのではないか。

【解説】管仲は斉の大夫、姓は管、名は夷吾、仲はその字。器は器量のこと。管仲は桓公の相となって諸侯の覇となし、一たび天下を正した大功績がある。しかし聖賢大学の道を知らず、内に備えたる識量が狭く浅く、外に施せる規模が低く寂しい。これは器が小さいからである。この故にその功績はただ覇業を成すに止まり、身を正しくして徳を修め、君に王道を行わせる能力はなかった。しかしある人は、倹約な者はその心が静かで、その仕業が慎ましいが故に、これを器が小さいと言えるのかと疑った。

(の玉わく)管氏( かん し ) (あり )三歸( さん き )官事( かん じ ) ()(かさね)(いずくんぞ ) ( えん )儉、(けんなることを )

【書き下し】曰く、管氏三帰有り、官事摂ねず、焉んぞ倹なることを得ん、

【訳】仰った。管氏は三帰という名の展望台を築いた。家臣は多く、いくつかの職を兼ねる人は一人もいなかった。どうしてこれを倹だと言えるのか。

【解説】三帰は展望台の名。管仲は展望台を築き、遊観の所とした。官は職のこと。大夫の家臣は一人でいくつかの職を兼ねるものなのだが、管仲の家は臣が多く、一人各一事を司る。これは諸侯の制を犯すことである。

(しかるときは ) (すなわち) 管仲( かん ちゅう ) (しれりや)(れいを)乎、

【書き下し】然るときは則ち管仲礼を知れりや、

【訳】だとすると、管仲は礼を知っていて、そのためにいろいろ使うから、倹とは言えないのか。

【解説】これまた或る人の質問である。

(の玉わく)邦君( ほう くん ) (じゅして ) (おおう)(もんを)管氏( かん しも ) (また ) (じゅして ) (おおう)(もんを)

【書き下し】曰く、邦君樹して門を塞う、管氏も亦樹して門を塞う、

【訳】先生が仰った。諸侯は門内に小壁を建てて門を塞ぎ覆うが、管氏もまた小壁を建てて門を塞ぎ覆っていた。

【解説】邦君は諸侯のこと。樹とは衝立のような小壁。この小壁を門の内に建てて、内外を覆い遮るので、門を塞うという。これは諸侯の礼である。大夫は簾を用いる作法になるが管仲は礼を僭して小壁を建てたのだ。

邦君( ほう くん ) (なすときに)兩君( りょう くんの)(よしみを)(あり )反坫( はん てん )管氏( かん しも ) (また ) ( あり)反坫( はん てん )

【書き下し】邦君両君の好みを為すときに反坫有り、管氏も亦反坫有り、

【訳】諸侯が隣国の君と親交を深めるときは、反坫で酒を酌み交わすのだが、管氏もまた反坫で酒を酌み交わした。

【解説】邦君為両君之好とは、諸侯が隣国の君と親交を深めることをいう。反坫は土で造った小台で、賓主が互いに酒を酌むときに、飲み終わると杯を裏返しに置くところ。桓公が天下の覇主となり、管仲はその国政を執っていたので、諸侯が斉に来る時は、必ず管仲の家にも行き、この反坫で酒を酌み交わした。しかしこれも諸侯の礼であって大夫の管仲がするのは僭礼になる。

管氏而( かん しにして   ) (しらば)(れいを)(たれか) (ざらん)(しら )(れいを)

【書き下し】管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん、

【訳】このような管氏が礼を知っているというのであれば、礼を知らない人は誰もいないことになる。

【解説】孔子が管仲は器が小さいとの指摘に、倹約なのではと反論され、倹約でないことを指摘すると、今度は礼を知っているからではないかと反論されたが、このように礼を知らないことを指摘したのだった。

23(63) 子語魯大師樂…

() (つげて)魯大師( ろの たい しに ) (がくを)1 (の玉わく)(がくは) (それ ) (べし )(しんぬ)也、(はじめて ) (おこしなすときに ) 翕如(きゅう じょたり)也、

【書き下し】子魯の大師に楽を語げて曰く、楽は其れ知んぬ可し、始めて作しなすときに翕如たり、

【訳】先生が、魯の音楽官の長に音楽について語り教えて、仰った。これから語ることを知っておくべきである。始めて合奏するときは調子を合わせ、拍子を揃えて奏でるものだ。

【解説】大師は官の名、魯の楽官の長。この頃は音楽の正法廃れて、知る者がいなかったので、孔子は楽師に会って語り教えた。ここでの作は演奏すること。翕は集まり合うという意で各楽器が互いに協調して演奏する合奏のこと。

(はなつときに)(これを ) 純如(じゅん じょたり)也、t如(きょう じょたり)也、繹如( えき じょたり)也、以成(もって なる )也、

【書き下し】之を従つときに純如たり、t如たり、繹如たり、以って成る、

【訳】演奏はすべての楽器の音が調和しつつも、それぞれの楽器の音が主張をもって明確に音を出し、それが最初から終わりまで絶え間なく続くのがよく、そういう演奏ができてこそ聴衆も感動し、音楽を演奏する意義もあるというものだ。

【解説】従つとは音を放つこと音楽を演奏すること。純は和らぐこと、すべての楽器から出る音が調和していること。tは別れて明らかなこと、全体としては純如としてよく和らぎ調和していても、それぞれの楽器の音はそれぞれ主張をもってきちんと明確にわかるように演奏されていること。繹は続いて絶えないこと、音が(あや)をなしてたゆみなく続くこと。思うに、一人ひとりが主張をもって生活しつつも、全体として調和していることが継続する、それが孔子の目指した理想社会〜人々を武力と法律で縛るのではなく、自発的な礼で秩序を構成する社会〜であって、その縮図が音楽なのだろう。ただし、西洋のオーケストラのように一人の指揮者によって統率されて奏でられる音楽は全体主義あるいは独裁主義の縮図であって、それは孔子が望んだところではない。日本の雅楽や古典芸能が、数十人規模で演奏するときも指揮者を必要とせず、個々の楽器奏者や歌手が互いに協調して流れを作っているのは、この孔子の考えが根底にあるからなのかもしれない。

24(64) 儀封人請見…

(ぎの ) 封人( ほう ひと ) (こう )見、(まみえんことを ) (いわく)君子( くん しの )(いたれるときに)(ここに)也、(われ ) (いまだ/ず )(かつて ) (ずんばあら)()見也(あうことを  )

【書き下し】儀の封人見えんことを請う、曰く、君子の斯に至るときに、吾未だ嘗て見うことを得ずんばあらず、

【訳】儀邑の封人が面会を請い求めて言った。偉い君子がここに来るとき、私は未だかつて面会できなかったことはない。

【解説】儀は衛国の邑の名。封人は国境を司る官の名。孔子が衛に行ったとき、たまたま儀邑の封人が来て、面会を願い出た。ただし賢者ではあるが身分が低いので名は不明だった。君子とは身分のある賢者をいう。斯は衛の地を指す。

從者(じゅう しゃ ) (まみえしむ)(これに)出曰(いでて いわく)

【書き下し】従者之に見えしむ、出て曰く、

【訳】従者が取り次ぎ、封人は面会し、やがて退出してきて言った。

【解説】従者は孔子の伴として来た者のこと。

二三子( に さん し ) (なんぞ ) (うれえんや)(うしなえることを)

【書き下し】二三子、何ぞ喪えることを患えんや、

【訳】門人のみなさん、先生が位を喪ったことを患いとすることはありません、

【解説】二三子とは門人を指す。喪うとは位を失って国を去ることをいう。魯の君が斉の女楽を悦び政治を怠ったので、孔子は司寇の官を捨てて衛に行くことにしたわけだが、その時のこと。

天下( てん かの )(なきこと)(みち )(ひさし)矣、(てん ) (まさに/す)( もって)夫子( ふう しを )(せんと)木鐸( ぼく たくと)

【書き下し】天下の道無きこと久し、天將に夫子を以って木鐸と為とす、

【訳】天下に道が行われないことが長く続いてますが、やがては乱も極まり、昔のように治まることを求める機運も高まります。そのときには、天は必ずや孔子先生を位につけて、教を設けさせます。そのときのために、今は位を失っているのです。

【解説】鐸は打つところが木製の鈴。打つところも金属のものは金鐸という。軍事には金鐸、文事教育には木鐸を用いる。法令などを発表するときにこの木鐸を振って諸人の注意喚起をするのだ。要するにアナウンスの前のチャイムみたいなものだと思われるが、とにかく、孔子がやがて位について教えを施すことを、この木鐸に擬えたのである。

25(65) 子謂韶…

() (の玉わく )(しょうを)(つくせり)(びを )矣、(また ) (つくせり)(ぜんを)也、(の玉わく)(ぶを )(つくせり)(びを )矣、(いまだ/ず ) (つくさ)(ぜんを)也、

【書き下し】子韶を謂く、美を尽くせり、また善を尽くせり、武を謂く、美を尽くせり、未だ善を尽くさず、

【訳】先生が舜の楽の韶について論評して仰った。美しさを尽くしているし善も尽くしている。また武の楽について論評して仰った。美しさを尽くしてはいるが、善というにはいささか問題もある。

【解説】謂とは評論するということ。韶は(しゅん)の楽の名。古の帝王は天下を得る時に必ず音楽を作り、天地鬼神を祭ってその成功を告げる。よって歴代の天命を受けた天子は、みなその徳に象る音楽があった。韶は「継ぐ」という意で、舜が(ぎょう)から位を継いで政治を行ったからその楽を韶と名付けた。盡美とは、楽の音、舞の様子共にその盛んなることを極めていることをいう。善とはその美とするところの事実のよさを云う。舜は天生自然の聖徳があり、また堯の譲位を承けて天下を治めたので、その楽の音も舞もみな揖譲(ゆうじょう)(会釈して譲る)の気風が盛んにして、その徳の尊いことも自ずから見え、したがって善なるところもまた尽くしていたのだ。
武は周の武王の楽の名。武事を以って殷の(ちゅう)王を打ち、民を救ったことから武と名付けられた。武功を以って天下を治めたので、その楽も武を尊び暴虐を除く気風が盛んにして、美を尽くしていた。しかし征伐して位を得ることは譲禅(じょうぜん)(血縁者以外に位を譲ること)には及ばない。またその徳も舜には及ばない。したがって、その事実は、善とするには問題もある。

26(66) 子曰居上不寛…

子曰( しの の玉わく)( いて )(かみに) ()(ゆたかなら)(なして)(れいを) ()(つつしま)(のぞんで)(もに ) (ざれば )(かなしま)(われ )何以(なにを もってか ) (みん )(これを)哉、

【書き下し】子の曰く、上に居て寛かならず、礼を為して敬しまず、喪に臨んで哀しまざれば、吾何を以ってか之を観ん、

【訳】先生が仰った。人の上に立つ者として心寛かでなく、礼を執り行うに恭敬することなく、喪に臨んで心から哀戚しないのであれば、私はその人のよいところを何も見つけ出せない。

【解説】このような人が来ても、何もアドバイスできない、ということでもある。

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最終更新日:令和02年10月21日 学易有丘会
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