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なるほど!易学入門ここでは易学=易経(周易)に基づく占いの成り立ちについて、初心者向けに解説しています。易の起源は中国の有史以前、まだ文字がなかった時代だと言われています。

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T 易の基本 陰と陽

完璧とアバウトが同居する世界

 易の理論を書いた本を『易経』という。「経」というと、仏教のお経を連想し、何やら宗教臭いイメージで捉えられることもありそうだが、本来「経」というのは、この世の縦糸となるべき重要な書物、という意味なのであって、言うなれば「易の教科書」といった意味合いに過ぎない。編集したのは孔子である。

 孔子は『易経』の他に、『詩経』、『書経』、『礼経』、『春秋経』という四つの書物も編纂したのだが、これらを合わせて、後の時代に「五経」と呼ぶようになった。
 実際に『易経』を開いてみると、宗教や思想関係の本にありがちな、「ねばならない」式の押し付けがましさや、崇高な理念などという尊大さはなく、ただ、如何にすれば幸福な人生を送れるのかといったことを、易の記号でシミュレーションしながら、社会情勢の変化の様子などとともに淡々と書き綴っているだけなのである。

 対人関係を円滑にし、敵を作らず、人望を集めることは、人間が人間である以上、誰しもが願う永久不変のテーマだが、その方策が理路整然と展開しているのである。時代背景は、孔子が編纂したのだから、今から2500年以上前の中国というわけで、それをそのまま現代社会に応用するのは多少ムリな面もあるが、基本的な理論自体は決して古さを感じさせない。
 中でも圧巻なのは、善悪の基準を法律、思想、宗教といったものに委ねず、自分自身で判断する能力を身につけさせようとする姿勢である。
 しかし一方で、易には完璧さとアバウトさが同居している、といった面もある。陰の記号を六本重ねて計六十四卦とし(2の6乗)、そのたった六十四とおりの組み合わせでこの世の中のすべてを(おお)()くそうというのだから、無理もない。どこに完璧さを見出し、どこにアバウトさを読み取るかは個人の感性に由るべきものなので、あえて言及はしないが、人間は完璧であろうとしても、どこかにアバウトな部分が見え隠れするのであって、だからこそ人生は楽しく、易もまたしかりなのだと言いたい。
 ともあれ、前置きはこのくらいにして、そろそろ中身を覗いてみよう。

爬虫類的感性と陰陽の調和

 中国地方の南側で気候温暖な瀬戸内を走る鉄道を山陽本線、対する日本海側を走る鉄道を山陰本線という。これはその昔、それぞれの地方を山陽道、山陰道と称したことに由来するわけだが、易の基本はこのように、諸事象を陰と陽に分類して認識することに始まる。
 この世の中は一見複雑な様相を呈しているが、突き詰めて行けば陰と陽という単純なニ要素が交錯しているだけに過ぎない、と考えるからで、丁度コンピュータが電気の+と−のニ要素の組み合わせだけで、あらゆる事象を表現してしまうのと、基本的には同じ理屈なのだ。今も昔も人間が考えることには大差ない、ということだろう。

 さて、その易の基本、陰と陽、何をもって分類するのかと言えば、活動的な事柄を陽、静かで受動的な事柄を陰とするのだ。
 人間が自由に行動するには明るさが必要だから昼が陽、したがって暗くて活動に不向きな夜が陰、南北では太陽の恩恵をより多く受けて、温暖で活動に好都合な南が陽、対する寒くて活動に不向きな北が陰、その活動に大切な太陽を迎える日の出およびその方角の東が陽、夜をもたらす日没およびその方角の西が陰、人体では人と相対する顔のある方が陽、背中が陰、よって背中を陰方の北に向け、顔を陽方の南に向けるのが正位となり、何面すると東に当たる左が陽、西に当たる右が陰となる。
 だから昼の明るさの根源のお日様を太陽、夜の暗さの根源の月を太陰と称し(かつては月が太陽のように明るくないから夜は暗いのだ、と考えられていた)、中国地方の南側を山陽、北側を山陰と予呼び、京都御所や中国の紫禁城は南向きに建ち、その昔、天子は南面して政治を行うべきだとされたのだ。
 また、人間が歩くときについて言えば、顔の向く方へ行くのが陽、背中の向く方へ行くのが陰の動作となるので、「進む」が陽、「退く」が陰、前が陽、後が陰となり、前は後に先立つものだから、「先立つ」が陽、「後に従う」が陰、数では先立つ一に始まる奇数が陽、一の後に従って続く二に始まる偶数が陰となる。

 何やら猫が欠伸でもしそうな話で、爬虫類的とでも形容したくなるネクラな感性を持った人に好まれそうな理屈だが、だからこそ占いにはある種独特の暗さが付き纏うのかも知れない。
 爬虫類と言えば、易という文字はトカゲの象形だとする説があり、天地の間を自由に往来する空想上の動物「竜」にもトカゲや蛇のイメージが重なる。その上、易の作者とされる遥かの大昔に中国を治めた伝説上の帝王伏羲も、上半身は人間だが、下半身は蛇だったという。
 これらは古代人にとって爬虫類が神秘的な存在だったことの現われだったとも言えるが、案外その本質はネクラな爬虫類的感性を尊んでいたのではないだろうか。
 人間は誰しもネアカな部分とネクラな部分とを兼ね合わせ持っているが、物事の真実を探るためには、表面的には明るく装っていても、内には重箱の隅を突っつくようなネクラな洞察力も必要だからだ。
 そのネクラとネアカ、これも陰と陽で対比できる要素なわけだが、そもそも陰陽は、天地の様子を観察した末に、天を陽、地を陰と定義したところから発展したのだとされている。

陰陽の始まりとは

 天(天空)は一時も休むことなく、日、月、星を巡らせ、晴雨寒暖を施すが、地は天の施しをひたすら従順に受容するのみで、日照りや暴風雨でさえも、何ら文句を言わない。
 この両者の様子から、天の性質は自ら活動すること、地の性質は静かに受容すること、と、見定めたのだ。と同時に天は上、地は下にあるので、人間社会の上下関係にも応用し、上にある支配者は陽となり、天が日、月、星を一定の法則に従って運行させるように、秩序正しい政治を行い、下にある民衆は陰となり、地のように従うべきだ、と考えた。男尊女卑の根拠も、男性を陽として天、女性を陰として地に配したからだ。ただし、易で言う男尊女卑は、中世ヨーロッパのキリスト教徒のように、神の定めとして女性を蔑み、力任せに隷属させることではなく、男性が女性から尊敬されるべき人格を養うことを要求するものだった。とすると、どうすれば尊敬されるのか、ということになるが、このようにただ陰陽で分類対比してみても、それだけでは形のない観念であり、理論を発展させ、具体的に応用するには不都合がある。そこで記号に置き換えて表現した。

 とは、見るからに抽象的で無機質な記号だが、そんな愛嬌のなさが逆に想像力を豊かにし、縦横無尽に理論を発展させたのであって、この記号に決まったのは、次のようなことからだった。
 見上げると陽の天空には切れ目がなく、陰の大地は川や海で分断されている。一方、この記号は、陽は連続、陰は不連続の象徴と捉えられる上に、画数が陽は1画だから奇数、陰は二画だから偶数となり、ふたつの記号を対比して見ると、陰は真ん中が欠けている分その面積が陽より小さく、陽は陰より面積が大きいので、「陽は陰に余り、陰は陽に足りない」という陰陽の比率をも表現し得るのである。
 陰陽の比率とは、天地の形状認識に基づくものなのだが、簡単に男女をもって言えば、日本最古の書物『古事記(こじき)』の伊邪那岐(いざなき)伊邪那美(いざなみ)神話に、男「()(あま)れる(ところ)一処(ひとところ)あり」・女「成り合はざる処一処あり」という表現があり、『日本書紀』では男性器を陽元、女性器を陰元と表記しているように、陽に男性は男性器の分だけ女性に余り、陰の女性は女性器の分だけ男性に足りないということ。と同時に、陰は欠けていることから不安定で柔弱な事象、陽は満ち満ちていることから安定した剛堅な事象の表現ともなるのだが、性交時の女性器と男性器の状態もこれまた柔剛すなわち陰陽の関係にある。

 言われて見れば確かにそのとおりで、不思議なおかしさがあるが、ともあれこの理屈、さらに展開すれば、例えば次のように分別される。

 陽=天、円形、王、君子、老、父、親、兄、大、仁、理性、賢、正、善、有、前、速・・・
 陰=地、方形、臣、小人、若、母、子、弟、小、義、情欲、愚、邪、悪、無、後、遅・・・

 このように対比してみると、陰陽は互いに対立しているかのようでもあるが、実際はそうではない。
 昼は何れ夜となり、暑い夏もやがては過ぎ、寒い冬がやって来る。女性は男性に対しては陰であっても、母として息子に対するときや、女王(経営者)として臣下(従業員)に対するときは陽となり、また後は前に対しては陰だが、そのさらに後に対しては陽になる。
 要するに、陰陽は時間の経過や対象する事柄によって変化するのであって、その変化に介在する不変の法則を見極め、陰陽が調和した状態をシミュレーションするのが「易」なのだ。だからこそ完璧(陽の事象)とアバウト(陰の事象)が同居していても、調和していればよしとするのだ。
 完璧に過ぎれば息が詰まり、アバウトに過ぎれば収拾がつかなくなるのが世の中だと考えるからである。

 では、どうすれば陰陽が調和するのだろうか。
 最も簡単な方法としては、種々の事物の数量を陰陽の基数によって構成するという手段がある。基数は陽を奇数、陰を偶数とすることから、陽は三、陰は二と定められていて、これは『易経』の「説卦伝」というところに「天を参にし、地を両にして数を倚つ」とあることによるのだが、その根拠は次のように説明されている。

3対2の割合

 古代中国人の観察では、天は地を覆っていて、天は円形、地は方形を主体に形成されているように思えた。天空を彩る星は一部の例外を除き、北極星を中心に、円を描くように動き、大地を区画整理するときは方形に区切るのが便利だからだ。
 その円形と方形の違いはと言うと、円形は周囲が直径の約三倍(円周率)、方形は相対するニ辺がニ組あることだ。
 よってその両者を特徴付ける要素として、天を三、地を二としたのである。

 円周率という定数と方形の見た目の形を比較して論じるのは、いささか無理があるようにも思えるが、あるいは円と内接する正方形の面接比率と考えてもよい。
 円の面積は半径の二乗×円周率(3)、
 内接正方形の面積は半径の二乗×2、
 だということは、中学の数学の教科書あたりに出ていたと思うが、このように円と内接する正方形の比率も3対2なのである。
 が、要するに陽の基数を最初の奇数一とすると、陰となる最初の偶数の二より小さい数となり、陰陽の定義(陽は大、陰は小)に反するという事情もあるだろう。

 陰陽の基数をもって秩序を考えた例は、かつての日本にはしばしばあった。その代表格と言えば、奈良時代の大宝律令「班田収受の法」だろう。
 陽の男性と陰の女性の土地分配比率を3対2とした「男には二反、女にはその三分の二を与える」という箇所である。
 なぜ2対1でも4対3でもなく、3対2なのか、中学時代だったか日本史の教科書のこの比率を見たとき、素朴な疑問が浮かんだのだが、当時は先生に質問しても答えては貰えなかった。
 そんなこと知らないし、知る必要もない、ということだったのだろう。
 それが、後にたまたま易に興味を持ったことで、漸くその謎が解け、なんだか爽快な気分になったものだ。
 この陰陽の3対2の比率は「班田収受の法」の他にも、芸術といった分野では宮中や神社仏閣に伝わる舞を伴った雅楽すなわち舞楽にも応用されている。

雅楽の場合

 舞楽はそのゆったりとした音の流れと優雅な所作が、慌忙とした現代社会とはまったく異質な空間を醸し出している、などと言われているが、それはともかく、舞楽は形式を重んじるために、陰陽をもって概ね次のように右方(うほう)左方(さほう)に分けた上で、その演奏スタイルが決められている。

 陰の属となる右方は朝鮮から伝来した高麗楽(こまがく)を主体に構成され、舞人は青を基調とした寒色系の装束を身に着け、演奏に使用される管楽器は篳篥(ひちりき)高麗笛(こまぶえ)のニ種、そのメロディーはどことなく哀調を帯び、打楽器のうちの大太鼓(だだいこ)(直径約2メートルの太鼓)は、月をイメージした装飾とともに、表面に「二つ(ともえ)」を描いたものが使用される。
 対する陽の属となる左方は、中国から伝来した唐楽(とうがく)を主体とし、舞人は赤を基調とした暖色系の装束を身に着け、使用される管楽器は(しょう)、篳篥、竜笛(りゅうてき)の三種となり、メロディーは威風堂々とした趣を持ち、大太鼓は太陽をイメージした装飾とともに、表面に「三つ巴」を描いたものが使用される。ちなみに音は「二つ巴」のでも「三つ巴」のでも、まったく同じ。

 舞楽公演では古来、この左方と右方を交互に演奏することで陰陽の調和を求めたのだが、明治神宮で毎年5月と11月頃に行われる宮内庁楽部楽友会の奉納舞楽も、簡略化されているとは言え、基本的にこの様式に従ってプログラムが組まれていて、何やら往時にタイムスリップしたかのような雰囲気を味わえるのが嬉しい。

 さて、易の話をするに当たっては、その関連事項も多少確認しておかないと円滑さを損ねる恐れがある。そこで、言うなれば道草ではあるが、次に、そんな中から少し触れておこう。

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最終更新日:令和02年10月31日 学易有丘会
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